引け目を感じるということは、自分が他人より劣っていると感じることです。 他人に対して劣等感を感じてしまい、自分の魅力のなさを痛感することをいいますね。 誰しもが引け目を感じずに過ごしたいと思うでしょうが、引け目は他人と比較することによって生じるもので、これは引け目を感じない人の立場からすると、差別につながる恐れがあります。
「差別」とは、人に「差」をつけ、自分とは「別」の存在(グループ)として一種の排除をすることだと思います。人間には能力や外見など合理的あるいは非合理的な様々な差(違い)があることは否定できません。 大切なことは、その事実を認めたうえで、その差によって人を排除しないことです。相手の立場に立てず、思いやる心を持てないことからから排除につながり、会社や学校などでイジメにつながるのだと思います。当たり前ですが、相手を思いやる心があっても、同じ環境に置かれなければ、その人の本当の気持ちは分からないと思います。
引け目を持たないためには、自分に対して“自信”を持つことだと思います。自信を持ちすぎている人を時々見ますが、これはいけません。もっと謙虚になって、自分を見つめることが必要と思います。先日、講演の打ち合わせで、その会の役員の女性にお会いしました。彼女は見るからに才女のように見受けられましたが、話していくうちに自分に自信が持てないのでので、思ったことや感じたことをはっきり言ってほしいといいます。人間には“頭脳明晰”だったり、走るのが早かったり、絵を描くのが上手だったり、野球が上手だったり、歌を歌うのが上手だったり、様々な能力が備わっています。長くやっていても上手にならないものがたくさんありますが、それで良いと思います。
「好きこそ物の上手なれ」とは、好きなことは上達しやすいという意味で、どんな物事でも上手くなったり深く知ったりするためには、物事に興味を持つことが大切と言われています。物事に対する無関心は、ボケにもつながる恐れがありますので、ボケっとしていたらチコちゃんに叱られます。
話は変わりますが、生命は与えられた環境条件に対し柔軟に対応し,自らの生存形式を変異していかねばならないと思います。即ち、 新型コロナウイルスと同じように、変異していかねばならないと思っています。植物でも土壌に適合できないものはいつの間にか死んでしまいます。大昔の恐竜のように死んでいくのは、人類も同じでないでしょうか。だから人類は、地球温暖化に適応していかねばならないと思っています。
「十勝の活性化を考える会」会員