十勝の活性化を考える会

     
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因果応報

2021-10-29 05:00:00 | 投稿

“因果応報 ”という仏教語がある。
因果応報は、生きる意味を知る上で重要である。因果応報が分からないと、私たちは何のために生まれてきたのか、何のために生きているのか、なぜ生きねばならないのかなど、本当の生きる意味が分からなくなるからである。

生きる意味も因果応報も大切なことであり、それを教えているのが仏教である。仏教には因果の道理を根幹として、本当の生きる意味を教えている。仏教は、約2,600年前にお釈迦さまが説かれた教えである。 35歳で仏の悟りを開かれて、80歳でお亡くなりになるまでの45年間、お釈迦さまが説かれた教えが仏教である。その仏教をそのまま教えたのが、親鸞聖人である。

いつでも成り立つものが仏教では道理と言われており、昔は正しかったけれど、いまでは正しくなくなったというものは道理ではない。お釈迦さまが生きていた2,600年前も、また現代日本でも正しくて間違いないことが道理である。

従って、インドでは成り立っても日本では成り立たないものは道理ではない。だから、いつでもどこでも変わらない真理を教えたのが仏教なのである。

因果応報の因であるが、「因」とは原因で、「果」とは結果のことである。因果の道理とは、すべての結果には必ず原因があるということである。この世のこと全ては、どんな小さな結果にもそれに応じた原因がある。この因果の道理に立って、合理的に教えられているのが仏教なのである。

自分のまいた種は、自分が刈り取らなければならないということである。善いこと、悪いこと、それぞれに応じた幸せや不幸を受ける。自分がまいた種は、すべて自分が刈り取らなければならないということで自業自得である。

人は何のために生きているのかというと、幸せになるためである。生きる目的は幸福であり、幸福になることが生きる意味である。この善い運命や悪い運命がどうして造られたのかを教えるのが仏教である。お釈迦さまも親鸞聖人も、善い行いをすれば必ず幸せが生じ、悪い行いをすれば不幸や災難が引き起こされる。善いのも悪いのも、自分のまいた種まきの結果だと教えている。

ところで、勧善懲悪という言葉がある。勧善懲悪は、 “善を勧め悪を懲らしめる”ことである。善を勧め悪を戒める倫理規範や因果応報を説く思想は、様々な社会集団や宗教でみられる。米軍が撤退したアフガニスタンでは、「女性問題省」を「勧善懲悪省」と書いたに看板に替わったそうである。このまま女性問題省が廃止され、女性の権利が再び制限されるのではないかという懸念が、アフガンでは広がっているそうだ。

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