作家の三島由紀夫は私の学生時代、東京都市ヶ谷駐屯地の自衛隊総監部で割腹自殺した。
三島由紀夫は、自衛官たちに向かって白い手袋の拳を振り上げ、絶叫しながら演説を始めた。日本を守るために健軍の本義に立ち返れという、憲法改正の決起を促す演説をし、辞世の句を残して割腹自殺した。
また1989年には、中国で天安門事件があり、自由を求めて多くの学生が死んだ。そして日本でも、1960年後半に学生運動が再燃、内ゲバを含めて多数の死者が出たが、彼らの死をムダにしてはいけない。作家の三島由紀夫にしても天安門事件の学生にしても、純粋な生き方だったと思うからだ。
私は、様々な自殺を想い起こす。作家の川端康成、秋葉原通り魔事件における被告の父、北海道出身の中川一郎大臣、「いじめ」による自殺、友人の自殺など。特に、三島由紀夫の自殺には、日本の平和にも関連し、今でもとても気になっている。
「十勝の活性化を考える会」会員
三島 由紀夫は、日本の小説家・劇作家・随筆家・評論家・政治活動家・皇国主義者。血液型はA型。戦後の日本文学界を代表する作家の一人であると同時に、ノーベル文学賞候補になるなど、日本語の枠を超え、海外においても広く認められた作家である。『Esquire』誌の「世界の百人」に選ばれた初の日本人で、国際放送されたテレビ番組に初めて出演した日本人でもある。
満年齢と昭和の年数が一致し、その人生の節目や活躍が、昭和時代の日本の興廃や盛衰の歴史的出来事と相まっているため、「昭和」と生涯を共にし、その時代の持つ問題点を鋭く照らした人物として語られることが多い。
代表作は小説に『仮面の告白』『潮騒』『金閣寺』『鏡子の家』『憂国』『豊饒の海』など、戯曲に『近代能楽集』『鹿鳴館』『サド侯爵夫人』などがある。修辞に富んだ絢爛豪華で詩的な文体、古典劇を基調にした人工性・構築性にあふれる唯美的な作風が特徴。
晩年は政治的な傾向を強め、自衛隊に体験入隊し、民兵組織「楯の会」を結成。1970年(昭和45年)11月25日、楯の会隊員4名と共に自衛隊市ヶ谷駐屯地(現・防衛省本省)を訪れ東部方面総監を監禁。バルコニーでクーデターを促す演説をしたのち、割腹自殺を遂げた。この一件は世間に大きな衝撃を与え、新右翼が生まれるなど、国内の政治運動や文学界に大きな影響を及ぼした。
(出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)より抜粋』)
三島由紀夫はいろいろな意味であの時代を象徴していました
熱い時代でしたね