先日、新谷行著“アイヌ民族抵抗史“の本を読んだ。 彼の目指していたものは、あくまでもアイヌ民族の復権ということである。私の知る限りでは、アイヌの側に立った歴史の本は、本書を除いて一冊もないと思われるので、その一節を紹介したい。
【「私は、アイヌに幸せは、究極のところ和人との同化であると思う。この同化によっていわゆるアイヌの文化は消え去ってゆくであろう。またアイヌ民族の血が消えてしまうかもしれない。だが、アイヌ文化の伝統と栄光は博物館に永久に保管」されるであろう。」(桜井清彦)「アイヌ秘史」)
桜井は、アイヌ民族の遺品をあの薄暗いコンクリートの壁の中に陳列することで「アイヌ文化の伝統と栄光」が真に保てると本気で考えている。貝沢*がアイヌ文化資料館にふれて語らねばならなかった意味はあまりにも明瞭といわねばならない。
「アイヌの幸福は究極のところ和人との同化」という考え方が、確固たる常識となっていることは、ウタリ協会の陳情にも明らかであるが、北海道地方史研究会の石井清治は、「明治百年にしてアイヌに関するかぎり、同化はおわりました。よほどの時代錯誤でないかぎり、「アイヌ民族の独立」をいう者はいないでしょうという(『アイヌ系住民をとりまく諸問題』)。
アイヌ民族はすでに滅んでしまってもういない。滅びてしまったほうが彼らにとって「幸福」だったのだという。当のアイヌ民族を不在にして、何ら痛みなしにこの常識を公言してはばからない人びとに、アイヌ民族は滅びていないことを、事実をもって徹底的に認識させなければならない。「よほどの時代錯誤でないかぎり」と、石井は書いている。
多数者が真理であると疑わないこの「錯誤」に、人びとはいつまで安住していることができるのだろうか。「すでに滅び去った」ひと握りのアイヌ民族に、強力な経済力・軍事力を持つ優越した日本国家が脅かされるはずがないという、この無邪気な信仰を、人びとはいつまで抱きつづけることができるのだろうか。】
(*貝沢正:アイヌ文化資料館の初代館長。同化を目指すアイヌの父、和人の母を持ち、生涯、アイヌとして生きようとした人。二部谷ダム建設には最後まで反対した。著書“アイヌ-わが人生”)
この本を読んで、次のように思った。「同化」とは何だろう、「和人」とは何だろう。「民族」とは何だろうということである。「和人」という言葉が文献資料に載った時期は分からないが、江戸時代後期の江戸幕府が、アイヌに対する日本人たちの自称として用いていたという。
一方、アイヌという「自民族の呼称」として意識的に使われだしたのは、本州の人々とアイヌとの交易が増加した17世紀末から18世紀初めの時期といわれている。アイヌには北海道アイヌ、東北アイヌ、樺太アイヌ、千島アイヌなど、地域文化の違いなどによって様々なアイヌがいた。
アイヌは初めエミシと呼ばれていたが、エミシやアイヌの歴史を遡ることによって、日本の歴史の一端が分かってくる。エミシにはアイヌ説と非アイヌ説(辺民説)があり見解が分かれているが、いずれにせよ日本民族は、縄文人から始まり、渡来人との混血による弥生人を先祖としている。縄文人の血を濃く残すエミシは、次第に影響力を増大させていく大和朝廷により征服・吸収され、集団の一部は中世の蝦夷(えぞ)、すなわちアイヌにつながり、一部は和人につながったと考えられている。
現在、北海道・北東北縄文遺跡群が、世界遺産暫定リストに挙げられている。コロナ禍、オリンピック開催、人間の絆、共生の喪失、環境保全等々、重要課題の山積の中で原点を見つめ直し、ありようを考える契機となってほしいものである。日本人にしてもアイヌ民族にしても、今のような少子化が進んでいくと限りなくゼロに近づくことになり、国立人口問題研究所の予想では、22世紀初頭の日本の人口は、1/3になる予想もあるそうだ。
「十勝の活性化を考える会」会員T
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