十勝の活性化を考える会

     
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連載:関寛斎翁 その14 養生心得草

2020-01-03 05:00:00 | 投稿

 

『養生心得草』と養生訓の系譜

 

《寛斎がその後半生をかけて追求した医道のありようは、一八七五(明治八)年、徳島新聞に発表した『養生心得草』十か条に要約されているといえよう。
彼の養生訓の最大の特徴は。彼自らがそれを実践してその有効性を実証したところにある。たとえば、第七の項に「山林或いは海浜に出で……歩行すべきこと」とあるが、彼は老境に入ってからほとんど毎年のように徒歩旅行を試み、自らを鍛えた。七一歳のときには、二か月を費やして中部地方の山地を踏破している。

『養生心得草』考
『養生心得草』で、寛斎は次のように呼びかけている。
  「一養生 二には運動 三薬
  揃うて やまひ直るものなり
  養生の仕方は人に依(よる)なれど
  心とむるは誰も替らず
  人皆の天寿の蔓の手入れ時
  嚔(くしゃみ)だにせぬうちの養生
  養生を栄燿(えいよう)の様に思ふは世上一般の習慣(ならわし)なり。今余が言へる養生法は、いかなる貧人、いかなる賤業の人にても、日夜心を注げば出来る事なり。因て其大意を三首の蜂腰に綴ること爾り。
 明治八年四月関寛 しるす」
 

養生、つまり健康や長寿は金持ちだけのものではない。貧しい人々こそ健康に生きなくてはならない。またそれは、努力すれば誰にでもできるのだ。そのことを、寛斎は、明治の医療が無視した「貧人・賤業」の民衆に向かって、直接、訴えたのである。
したがって、本文十か条は、誰にでもわかる平明で具体的な生活上の注意から成り立っている。これも、彼の養生訓の特徴と言える。

「第一 毎日六時に起き、寝衣を着替え、蒲団の塵を払い、寝間其外居間を掃除し、身体を十分安静にして、朝飯を食する事。
第二 毎日の食餌は三度を限り、分量を定む可し。夜中に飲食せざるを最もよしとす。但少時間休息し運動を始むべき事。
 第三 酒茶菓子の類は食事の節少々用いて飲食の消化を扶くるは害なしと雖も。その時限の外退屈の時用る等は害ある事。
 第四 長日の間は、午後一時の頃半時計の書寝は養(やしない)の扶(たすけ)となることあれども、其他は決して日中睡臥を禁ず可き事。
第五 坐時と起時と平均して、七歩は起ち、三歩は坐る位にして、坐にのみ過す可からざる事。
第六 毎日一度は冷水或は微温湯にて身体を清潔に拭いとり、肌着を着替べし。入浴は六七日目毎に成だけ熱からざる湯に入るべき事。
第七 一ヶ月五六度は必ず村里を離れたる山林或は海濱に出で、四五里の道を歩行すべき事。
第八 衣服の精粗美悪(よしあし)は人の分限に依ると雖も、肌着は木綿フランネルを良とす。蒲団の中心(なかわた)は新しく乾きたるものを貴む故に、綿花に限らず蒲の穂苗藁(わら)其外柔く乾きたるものを択ぶべし。総て肌着は日々洗ひ、夜着は六七日毎に干すべき事。
第九 食物も衣服の如く分限によるは勿論なれど、肉食は鮮(あさら)けく新らしき品、野菜は稚き柔なる品を択ぶべし。よく烹熟(にたき)して、五穀に交え喰ふをよしとすること。
第十 常居(いま)は湿気少く日当りよくして風の透る様に心を用ふ可し。一ヶ年一両度は必ず天井また縁の下の塵を彿ひ、寝所は高く燥きたる方を択ぶべき事。」

 彼はここで、一に養生、つまり日常の健康管理の努力。二に運動、すなわち積極的な心身鍛錬。三に薬、病気になったときの適切で科学的な医療処置。これらの三位一体が不可欠なりとする総合的医療観を主張しているのである。これは最近、現代医学の歪みの反省の中から叫ばれつつある「包括医療」の思想と共通するものと言えよう。

関寛斎 最後の蘭医 戸石史郎著

§

毎年メタボ健診の結果に一喜一憂する者としては、身につまされるお話です。
寛斎はポンペから学んだ予防医学についても、自らの身を以って実践していたという事です。
それが、強靭な肉体と精神を育み、北海道開拓という夢の実現へと自らを導いていったのでしょう。

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