十勝の活性化を考える会

     
 勉強会や講演会を開催し十勝の歴史及び現状などを学ぶことを通じて十勝の課題とその解決策を議論しましょう

和人とアイヌ

2019-06-07 05:00:00 | 投稿

本「北涯の悲劇」(松好貞夫著)には、以下のように書かれていた。

 

『アイヌの世界は自然と共にあり、且つ、自然なるがゆえに美しく、文明や歴史の爪痕をとどめるがゆえに真実であって、旅する和人がそぞろに郷愁の世界を発見し、あるいは羨望の情けをいだいたのも、あながち無理ではない。

「日本も上古は蝦夷(北海道)の地にかわりし事は少しもなく、無為にして太平なりしものなり。今の蝦夷地には領主・地頭と言うものもなく無為にしておさまり、直なる風俗はうらやましき事なり」とは、古河古松軒のもらした感慨である。 (中略)

 

考えさせられるのは、徳川時代の人々、それもすべて武士の肩書を持った人々が、領主や地頭がいない蝦夷地をうらやみ、あるいはそこに神代の清純さを発見して歓喜したのと対照的に、原住民たちは和風化する北海道に背を向け、山の奥ふかく「踏晦」して行った。この深刻な事態の時である。けだし民族の文化的な発展段階がどうであろうと、およそ自然と自由への回帰は、人間に共通する永遠の願望であり、理想と言わねばなるまい。

日本の近代文明がアイヌ民族の上にもたらすところは、決してかれらの幸福ではなく、逆にかれらをこの永遠の理想から絶縁する結果だった。』と。

 

また、知里幸恵のアイヌ神謡集には、以下のようにも書かれている。

その昔この広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました。天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は、真に自然の寵児、なんという幸福な人たちであったでしょう。 (中略)

 その昔、幸福な私たちの先祖は,自分のこの郷土が末にこうした惨めなありさまに変ろうなどとは,露ほども想像し得なかったのでありましょう。

 時は絶えず流れる。世は限りなく進展してゆく。激しい競争場裡に敗残の醜をさらしている今の私たちの中からも、いつかは、二人三人でも強いものが出て来たら,進みゆく世と歩をならべる日も、やがては来ましょう。それはほんとうに私たちの切なる望み、明暮あけくれ祈っている事で御座います。

 けれど……愛する私たちの先祖が起伏す日頃互いに意を通ずる為に用いた多くの言語、言い古し、残し伝えた多くの美しい言葉、それらのものもみんな果敢なく、亡びゆく弱きものと共に消失せてしまうのでしょうか。おおそれはあまりにいたましい名残惜しい事で御座います。

 アイヌに生れアイヌ語の中に生いたった私は、雨の宵、雪の夜、暇ある毎に打集って私たちの先祖が語り興じたいろいろな物語の中極く小さな話の一つ二つを拙ない筆に書連ねました。

  私たちを知って下さる多くの方に読んでいただく事が出来ますならば、私は、私たちの同族祖先と共にほんとうに無限の喜び,無上の幸福に存じます。

「十勝の活性化を考える会」会員 T




  ☆☆会員募集もご覧ください☆☆




最新の画像もっと見る

コメントを投稿