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十勝の活性化を考える会

     
 勉強会や講演会を開催し十勝の歴史及び現状などを学ぶことを通じて十勝の課題とその解決策を議論しましょう

内部告発

2020-06-25 05:00:00 | 投稿

 

令和2612日、ニュースを聞いていたら、山口県の町役場で固定資産の課税ミスを内部告発した職員が、パワハラを受けて町史編纂室の一人部屋に押し込まれたことを報じていた。

 

このことで県内外から「報復人事だ!」などとの抗議電話が殺到し、役場が混乱に陥っている。抗議の中には、役場を爆弾予告するハガキもあり、一時、避難する事態にもなったらしい。

 

町長の言葉では、内部告発した職人を一人部屋に押し込んだことに対して、「隔離ではなく他の職員を守るために必要だった」と言っている。

 

パワハラの真相は、後日、明らかにされると思うが、この内部告発(リーク)では、まわりにいた職員が何らかの対処をしていれば、このような大きな事態にはならなかったのではないかと思われる。

 

内部告発した人が、もしこのような事態を招けば組織は改善されないし、組織内に悪行がはびこることになりかねない。

 

日本人の悪いところだが、見て見ない振りする図々しい人間が多すぎる。一概に、見てみない振りすることが悪いとは言わないが、外国人から見て不思議なことは、このような日本人特有の行動かも知れない。

 

一方、アメリカのように損害賠償請求の訴訟が多い国も、どうかとも思う。自由だから、何でも行なっても良いというわけにはならない。

 

アメリカ人の訴訟行動に対して、損しなければよいと思って行動することに対して、恐ろしさを感じる。さすがに、自由国家のアメリカであるが、どちらかというとアメリカ人は権利を最優先に主張し、日本人は義務も果たす人が多いと思う。

 

アメリカ人にせよ、日本人にせよ、極端な偏りをせず中庸が大切である。中庸とは、中途半端や足して二で割るというものではない

 

「十勝の活性化を考える会」会長

 

注) 中庸

 

中庸とは、儒教において、「四書」の一つであり、またその中心的概念の一つである。

「中庸」という言葉は、『論語』のなかで、「中庸の徳たるや、それ至れるかな」と孔子に賛嘆されたのが文献初出と言われている。それから儒学の伝統的な中心概念として尊重されてきた。

 

だがその論語の後段には、「民に少なくなって久しい」と言われ、この「過不足なく偏りのない」徳は修得者が少ない高度な概念でもある。

古代ギリシャでは、アリストテレスの「メソテース」という言葉でそれを倫理学上の一つの徳目として尊重している。また、仏教の中道と通じる面があるとも言われるが、仏教学者によれば違う概念であるという。

現在「四書」の一つとして広く知られている『中庸』は、もともと『礼記』中の一篇、すなわち礼記中庸篇として伝えられてきたものである。

 

司馬遷の『史記』では、中庸は子思の作であるとされており、これが通説となっている。しかし、戦国時代の無名の儒家の著作であるという説や、『大学』同様『子思子』の一篇だったのではないかという説もあり、成立及び作者は諸説が存在している。古くから有名な作品として人々に読まれてきた。

 

大学』が四書の入門であるのに対し、『中庸』は四書の中で最後に読むべきものとされ、初めて『中庸』を表彰したのは南朝宋の戴顒(378441)であるとされている。彼が『礼記中庸伝』を書いた。

 

宋代になると、有名な学者、政治家などが次々と『中庸』の注釈を著した。司馬光范祖禹蘇軾程顥、著名な人びとの専著は十指にのぼる。この中で、もっとも知られているのは朱子の『中庸章句』である。

『中庸』の内容

『中庸』では、「中庸」の徳をくわしく解説している。

しかし、『中庸』は、「中庸」以外に、「誠」、「性」、「道」、「慎独」など多くの概念についても述べている。この中で、「誠」は「中庸」よりも一層重要な概念であることも言われている。

『中庸』の「中庸」

「中庸」の『中』とは、偏らない、しかし、決して大小や上下の中間を取りさえすればよいという意味ではない。

よく、「中途半端」や「5050の真ん中」と混同されている。中間、平均値、足して2で割るというものではない。常に、その時々の物事を判断する上でどちらにも偏らず、かつ通常の感覚でも理解できるものである。

 

『庸』については、朱子は「庸、平常也」として、『庸』を「平常」と解釈しており、鄭玄は「・・・庸猶也言徳常行也言常謹也」として『庸』を「」と解釈している。『庸』が「」という意味を含んでいることは二人とも指摘している。

現在、多くの学者たちは、『庸』が「優れた点や変わった点を持たない」と「平常」との両方の意味を含んでいると見ているほか、『庸』は「」であるという説もある。つまり、中の道を「用いる」という意味だというのである。

 

中庸の徳を常に発揮することは聖人でも難しい半面、学問をした人間にしか発揮できないものではなく、誰にでも発揮することの出来るものでもある。

恒常的にいつも発揮することが、難しいことから、中庸は儒教の倫理学的な側面における行為の基準をなす最高概念であるとされる。

 

(出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)

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スピリチュアル・ペイン

2020-06-24 05:00:00 | 投稿

 

佐々涼子著エンド・オブ・ライフ」の一節に、次のことが書かれていた。

 

『近代ホスピスの創始者と言わるシシリー・ソンダースの分類によると、痛みには大きく分けて四つの種類がある。身体的な痛み、精神的な痛み、社会的な痛み、そしてスペリチュアル・ペインである。身体的な痛みについては説明するはないだろう。物心ついた特からおなじみの、転んだり、熱を出したりした時に感じる身体の直接的な痛みだ。息苦しさやだるさなどもこれに当たる。

精神的な痛みとは、不安や恐怖、怒りや鬱などの心の痛みを指す。社会的な痛みとは、仕事を辞めざるを得なかったり、家庭内に問題が起きることによって、社会的に孤立したり、経済的に困窮したりすることによる痛みである。人はつながりの中で生きている動物なので、それらを奪われると苦痛を伴うという。それも納得できる。

この中で気になるのは、スぺリチュアル・ペインである。スぺリチュアル・ペインとは直訳すると「魂の痛み」「霊的な痛み」である。日本語にぴったりな表現がないため、英語をそのまま使っている場合が多い。

「自分の人生は何だっただろう」と考えたり、自分の存在が無に帰することを想像して絶望してしまうことなどを意味し、感情よりもっと奥深くある、魂の苦しみととらえている。

精神的な痛みは生きていく上での人生の一部についての心の痛みだが、スぺリチュアル・ペインは自分の人生全体の意味がわからないという苦しみである。(後略)』

 

私はこの文章を読んで、次のように思った。「どう生きるか」「己とは」は人類、哲学、宗教等の永遠の課題であり、場合によっては、整理がつかず、命に直結する課題ともなる。しかし、人間はみんな、何かの役割を持って生まれたのである。その役割を、他をおもんばかりながら自分なりに果たせばよいのだ。その役割を果たしているかどうかを知っているのは自分だけで、他人がどう思うか、どう評価されるかは関係ないのではないか。他人には嘘をつけても、自分には嘘をつけないからである。

 

 

自分は、自分の人生がどうであったかは、死ぬ直前に考えればよいことではないか、と考えている。新型コロナ禍で人生観や価値観が変わった人もいると思うが、生きている限り、共生のなかで、自分の役割を知り、目標に向かって突き進むだけでよいのではないかと思う。

人類はいま、「新型コロナウイルス」と戦っている。この本に書かれているように、生きることに向かって行動する強い意志と負けない心で、共生を忘れず、新型コロナウイルスと共存しながら粛々と生きていこう。

 

「十勝の活性化を考える会」会長

 

人生の意義

人生の意義とは、人生目的意味はあるのか、あるとすればそれはいかなるものなのかという問いである。人生の意味、生きる意味、レゾンデートルともいい、一般的な日本語では生きがいと表現される。

この問いかけは、次のような様々な形式で表現されている。

  • 人生の意義とは? それは一体何なのか? 私たちは何者なのか?
  • なぜ私たちはここにいるのか? 何のために私たちはここにいるのか?
  • 生命の起源は何なのか?
  • 人生の本質は何なのか? 現実にはどういった性質をもっているのか?
  • 人生の目的は何なのか? 各個人の人生の目的は何なのか?
  • 人生の意義は何なのか?
  • 人生において意味と価値があるものは何なのか?
  • 人生の価値は何なのか?
  • 生きる理由は何なのか? 私たちは何のために生きているのか?

これらの問いかけに対し、科学理論、哲学、神学、心理学といった側面から、さまざまな答えと議論がなされている。

 

(出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)

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プロボクシング選手“モハメド・アリ”

2020-06-23 05:00:00 | 投稿

 

令和263日、NHK第一放送「今日は何の日」を聞いていたら、プロボクシング選手だったモハメド・アリ(1942━2016)の死んだ日だった。

 

モハメド・アリ選手はアフリカ系アメリカ人で、世界ヘビー級王座を3度奪取。人種差別と戦い、ベトナム戦争の徴兵拒否など社会的にも注目を集めた。1960年のローマオリンピックで、金メダルを獲得したが、帰郷したケンタッキーで人種差別を受け、その悔しさから金メダルを川に捨てたそうだ。

 

ボクシングスタイルは、蝶のような華麗なフットワークと、蟻のような鋭い左ジャブを繰り出すアウトボクシングであった。

 

晩年はパーキンソン病の闘病生活を送ったが、アトランタオリンピックでは、聖火の最終ランナーとして、聖火台に火をともしている。

 

 

いま、黒人を殺した白人の警官に対する抗議デモが、アメリカ国内に広まっている。これも人種差別に抗議するもので、白人が大多数を占めている都市にも起きているそうだ。

 

このことに対して、アフリカ系アメリカ人であるオバマ前大統領は、選挙で抗議するように訴えている。なお、モハメド・アリの名言には、「想像力のない奴は、翼を持てない」などがある。享年74歳だった。

 「十勝の活性化を考える会」会長

 

注) アメリカの大統領選挙

アメリカ合衆国大統領選挙は、アメリカ合衆国大統領を選出するための選挙。

この選挙は、具体的には数次のプロセスに分かれているが、一般に、4年毎、11月に行われる一連の選挙手続き、予備選挙となる立候補者選出および立候補者による選挙運動から選挙人による本選挙・投票・開票までの全プロセスの総称である。

 

[アメリカ合衆国憲法第二条:大統領と副大統領の任期]

大統領選挙はアメリカ合衆国憲法2条の第1節、修正第12条同第22条および同第23条に規定される。大統領および副大統領4年の任期を務める。

 

【選挙の規定]

選挙権と被選挙権

大統領選挙の選挙権は、米国籍者に限り、永住権者には選挙権が無い。加えて18歳以上であることと、通常選挙人登録を行っていることが要件となる。 米国は日本のような住民基本台帳が無いため、自動的に選挙人名簿に登録されることは無く、選挙人名簿に自己申告で登録しなければ選挙人名簿には登録されず、投票資格が生じない。 なお、選挙権が無いにも関わらず選挙人登録をすると刑法犯罪になる。

 

被選挙権は、35歳以上であること、合衆国内で生まれた合衆国市民(両親が米国籍であれば合衆国外で生まれてもかまわない)であって、14年以上合衆国内に住んでいることが憲法上の要件である。

また、憲法修正第22条により、大統領に3度選出されること、昇格や職務代行により2年以上大統領の職務を行った人物が複数回大統領に選出されることが禁止されている。

この他、多くの州では、二大政党(民主党共和党)以外の立候補に一定数の有権者による署名を必要としている。そのため、二大政党以外の候補者にとって立候補のハードルは高い。第三勢力の候補者は、署名が揃わず、一部の州でしか立候補できない事例が多い。

 

また、立候補した州でも、初めから名簿(リスト)に名前が掲載されている候補と、有権者が任意で自書式投票による追記投票をする必要がある候補に分けられている場合がある(二大政党候補は必ず名前が掲載される)。

 

たとえば、カリフォルニア州では2012年の選挙から、全ての立候補者から選ぶ事が出来るように改正され、2012年の候補者6名全てが名簿に載っている。

アメリカ合衆国の選挙法では、外国籍の人間(永住権保有者を除く)によるいかなる選挙への関与(選挙関連活動および寄付)を認めておらず、これらの行為は違法である。

 

通常、予備選の勝利を確実とした大統領候補が、自らとは支持基盤・政策・キャラクターなどが異なる人物を副大統領候補に内定し、党大会において正副大統領候補が正式指名を受ける。

大統領選挙は形式上間接選挙であり、有権者は一般投票日に、選挙人団 に票を投じる。選挙人は前もって、本選挙において特定の大統領候補と副大統領候補のペアへ投票することを誓約しており、この候補者ペアをチケットと呼ぶ。選挙人が本選挙で誓約どおりの候補者に投票することは、いくつかの州で義務づけられているが、憲法や連邦法レベルでは存在せず、ごくまれに誓約違反がある。

 

もっとも、実際の投票では、大統領候補と副大統領候補の名前のペアとその公認政党の組み合わせの書かれた選択肢に記入して投票すると、その候補ペアへの投票を誓約する選挙人団への票とみなされる投票方式がとられる。

各州には人口に応じた(ただし比例はしていない)選挙人の定数があり、メイン州ネブラスカ州以外では、他の選挙人団より1票でも多くの票を獲得した選挙人団がすべての選挙人を出すことができる。

つまり実質的には、州の一般投票で最多得票の大統領候補が、その州の全ての選挙人を獲得する勝者総取り方式である。全州で獲得した選挙人の数を合計し、獲得総数が多い候補者が勝利する。

 

有権者の投票数の比が直接反映される制度ではないため、1824年1876年1888年2000年2016年 の選挙では、一般投票での次点候補が当選している。

(出典:ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)

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環境の日

2020-06-22 05:00:00 | 投稿

 令和265日、NHK第一放送「今日は何の日」を聞いていたら、当日は環境の日であった。

 

環境の日は、環境保全に対する関心を高め啓発をはかる日として、国連で日本とセネガルの提案により1972年に「世界環境デー」として制定されたものである。その後、2015年にはエスディージーズ(SDGs)が国連で採択されている。

 

SDGsとは、Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」の略称で、次のとおり17目標が決められている。

 

①貧困をなくそう

②飢餓をゼロに

③全ての人に健康と福祉を

④質の高い教育をみんなに

⑤ジェンダ平等を実現しよう

⑥安全な水とトイレを世界中に

⑦エネルギーをみんなにそしてクリーンに

⑧働きがいも経済成長も

⑨産業と技術革新の基盤を作ろう

⑩人や国の不平等をなくそう

⑪住み続けられるまちづくりを

⑫つくる責任つかう責任

⑬気候変動に具体的な対策を

⑭海の豊かさを守ろう

⑮陸の豊かさも守ろう

⑯平和と公正をすべての人に

⑰パートナーシップで目標を達成しよう+

 

上記の目標を再読しながら、グレタ・トゥーンベリさんのことを思い出した。彼女は、地球温暖化によって引き起こされた危機は非常に深刻で、人類は生存の危機に直面しており、地球温暖化が、「私たちが知っているような文明を終わらせる可能性が最も高い」と主張している。

 

また、20192月、彼女は欧州経済社会評議会において、EUは2030年までにCO2排出量をパリで設定した40%の目標の2倍である80%削減しなければならないとも述べている。

 

いま世界中がコロナ禍で騒然としているが、私は、新型コロナウイルスの発生は、科学的な根拠はないものの地球温暖化が原因のひとつではないかと思っている。

 

「十勝の活性化を考える会」会長

 

 

注) 環境の日

 

環境の日は、6月5日を環境保全に対する関心を高め啓発活動を図る日として制定された、国連による国際的な記念日である。世界環境デー(せかいかんきょうデー)とも。

由来は、1972年6月5日からスウェーデンストックホルムで開催された「国連人間環境会議」を記念している。19721215日に日本セネガルの共同提案により国連総会で世界環境デーとして制定された。日本では環境基本法(平成51119日法律第91号)により「事業者及び国民の間に広く環境の保全についての関心と理解を深めるとともに、積極的に環境の保全に関する活動を行う意欲を高める」という目的のもと65日を環境の日と定めている(環境基本法第10条)。

6月の一カ月間は、環境月間として、毎年、環境省地方自治体企業などによって環境セミナーや展示会などが各地で開かれている。

 

[統一テーマ】

環境省では1992年から2003年まで「環境の日・環境月間」にあわせて普及啓発のため統一テーマを発表していた。

 

  • 2003年  はじめています。地球にやさしい新生活
  • 2002年  見直そう今までの暮らし 考えようこれからの暮らし
  • 2001年  時代が変わる 私が変わる 環境世紀の幕開けです
  • 2000年  循環社会 捨てずに生かす 新時代
  • 1999年  きこえますか地球の鼓動、みえますか環境の世紀
  • 1998年  地球と未来の仲間のために 暮らしを変える わたしから
  • 1997  地球が発熱! あなたが止める 温暖化
  • 1992-1996  地球とはもっとなかよくなれるはず
  • 1999年 日本 東京 Our EarthOur FutureJust Save it! 私たちの地球 私たちの未来 救うのは今!
  • 1974年 Only one Earth かけがえのない地球

 

(出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)

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学者と評論家

2020-06-21 05:00:00 | 投稿

 

学者とは、経済学に対して経済学者、物理学に対して物理学者言語学に対して言語学者と言われるように、学問ごとに存在する。評論家とは、評論批評を仕事として金銭を受け取っている人のことをいう。

 

またスポーツでは、評論家と解説者の区別は曖昧であるが、スポーツ解説者にはマラソン選手だった増田明美氏やプロ野球解説者の岩本勉氏(元日本ハムプロ野球選手)などがいるが、評論家とは言わない。

 

評論家は、ある特定の分野だけを評論活動の対象としている人が多く、評論家の種類もたくさんあり、例えば以下のとおり。

経済評論家、政治評論家、映画評論家、音楽評論家、文芸評論家、軍事評論家、芸能評論家、競馬評論家、建築評論家、美術評論家、航空評論家など 多数あり

 

自分が自ら動かないで他人の行為をあれこれいう傍観的な人を、皮肉めいて

評論家と呼ぶ場合がある。三年前、十勝にある上士幌町主催の「かみしほろ塾」で、元東大総長の小宮山宏氏が、「考えただけではいけない、行動で示すべきだ」と語っていたが、そのとおりだと思う。

 

私は行動して(経験)はじめて分かることが多いと思う。だから、三現主義を大切にしているが、これは小宮山宏氏が言っていることと同じように思われる。

 

学者には、自分が関わる狭い専門分野と関係があることにのみ、興味を示さない“専門バカ”と言われる人が少なからずいる。

 

また、職人とは自ら身につけた熟練した技術によって、手作業で物を作り出すことを職業とする人のことで、この職人の持っている性格を職人気質という。一見偏屈に見えたり頑固に見えたりするが、誠実で自分の仕事に誇りを持ち、気に入ったら損得を考えない性格の持ち主で、どこか学者に似ている。

 

職人が作った宇宙ロケットの部品があるが、機械で作った物より精度が取れているというから神業的である。人工知能(AI)で行なう囲碁や将棋は、一度覚えたら間違いがなく人間よりも強いといわれるが、間違った方が人間らしくて良いと思う。

 

 

衆議院議員の鈴木宗男氏は、一時、「疑惑の総合デパート」と言われた時もあるが、政界では「地頭がいい」と言われるそうである。この地頭とは、大学などでの教育で与えられたものでない本来の頭のよさで、知識の多寡でなく、論理的思考力やコミュニケーション能力などをいう。

 

この地頭がいい知人が、差別について次のようにいっている。

差別とは、人に差をつけ、自分とは別の存在(グループ)として一種の排除をすることではと思います。人間には能力や外見等合理的或いは非合理的な様々な違い(差)があることは否定できません。大切なことは、その事実を認めたうえで、そのによって人を排除しないことです』と。      

 

なお、山中伸弥京都大学教授や鈴木宗男議員はフルマラソンを走るので、頭脳明晰の人や地頭のいい人は、体力もあるのだろう。

「十勝の活性化を考える会」会員

 

注) 小宮山宏

小宮山 19441215)は、日本工学者三菱総合研究所理事長、第28東京大学総長

工学博士(東京大学、1972)。専門は、化学システム工学、機能性材料工学、地球環境工学CVD反応工学、知識の構造化など。CVDによる薄膜・超微粒子形成プロセス、地球温暖化問題対策技術などを研究している。

また、総長就任以来、「東京大学アクション・プラン」を公表して改革を進め、現代のリベラル・アーツの構築、学術統合化などを進めた。総長退任後は三菱総合研究所に新設された理事長職に就任。

 (出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)

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