茨城県南部、つくばイオンの近くに石碑があった。
イオンに行く時にときどき使う旧道。
ふつうは車で通過するだけなので気づかなかった。
散歩をかねて歩いてイオンに向かったとき道沿いの神社で見つけた。
古くて字のかすれた石碑。その横に御影石の立派な解説つき。
両者が御影石のステージに乗っている。
このステージができる前は、頭がかけた石碑が道端で傾いていたのだろう。
碑文によると西暦1595年(文禄4年)のもの。
日待は決められた日の夜、地域の仲摩がお堂や家に集まって、豊作祈願や人々の幸運を祈って神仏に礼拝し、翌日の日の出を拝む太陽崇拝にもとづくもので、ここでは9人の施主が3年間の日待供養を成就した記念に碑が建てられた。
ネットで調べると、日待は少なく、月待がたくさんヒットする。
県内の月待の碑を集めたブログを見た記憶がある。
日待、月待は江戸時代に流行った風習らしいが今はすたれて詳細はわからないという。
メソポタミアの石碑とは比べものにならないかもしれないが、酔狂な9人衆の作った石碑は地元にとって十分価値のある存在だ。
そして、たまには歩いてイオンに行くのもよいものだ。
ではまた、ぶらり。
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