HEY HEY MY MY

和・洋問わず音楽を聴いて、思ったこと、感じたことを時々、こそっと、書きます。

LUNA SEA  『MOTHER』

2005年11月26日 | JPOP
 朝、目覚めたら、うっすらと雪化粧。鉛色の空は、寒さを一層鋭いものに感じさせる。丁度10年前の今頃、このアルバムを購入した。
 白黒のジャケットは鉛色の空を思わせ、冬の始まりに1回はこのアルバムを聴く。

 400CCのバイクで職場に通っていた頃。娘が生まれたての頃。

 収録曲の「TRUE BLUE」は当時、あきれるくらいオンエアーされていた。
 唯一、聴き応えのあったジュアル系バンド。

 冷静で、扇情的な歌詞とハードロックサウンドは、バイクで駆け抜けていた時の風。
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Def Leppard  『Pyromania(炎のターゲット)』

2005年11月26日 | ロック
 ハードロックバンドとして、驚異的なアルバム売上げ記録を築いたデフ・レパードとの出会いは、この作品からだ。邦題は『炎のターゲット』。当時のロック音楽のアルバムにはこのようなとてつもない名前が付いたものだ。直訳では「放火癖」となる事を思うと、まあ悪くないタイトル。バンドとしては3作目、1983年に発表されたものだ。
現在、1000万枚以上の売上げ記録を持つ。この作品は、本国イギリスのみならず、アメリカでの成功を手にする突破口だった。
 多くの場合、ヒットしたアルバムの次作品は酷評が呈せられるものだが、デフ・レパードに関してはあてはまらなかった。この後の「ヒステリア」「アドレナライズ」と次々と1000万枚を越える売上げを連発する。その音楽は電波に乗り、普段、ハードロックを耳にしない層にも届けられた。日本では、バンドとしての名よりも、メロディーの方が多く耳にされているはずである(「ラブ・バイツ」など)。

 高校1年生の時、写真部に在籍していた私は、学校祭の写真展示でこのアルバムの「フォトグラフ」を流していた。

 洋楽を聴く高校生同士、ちょっとマイナーな連帯感があった時代。

 デフ・レパードは数々の苦難を経たバンドでもある。ドラマーは事故で片腕を失い、復帰は無理だろうといわれた。シークレットギグで、彼がその姿を現し、ドラムの音を響かせた時、他のバンドのメンバーが涙したという。

Def Leppard ~ Photograph

コメント (2)
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