すでに10月も半ばを過ぎ、街路樹の木々も紅葉し始めています。
栗林の作業も例年よりちょっと早め(6日)に終えた今年でしたが、
前年の枝打ちや梅雨前のアブラムシへの薬剤散布、
伐採した枝葉やイガを燃やした灰や灰汁の栗木への散布が功を奏したのか、
昨年よりも心なしか大きめの栗を、量も多めに収穫できました。
今年もまた大きめ栗はご近所や知人にそのまま生でもらって頂き、
残りは鬼皮、渋皮を剥いて冷凍保存したり、親戚や知人にお裾分けしました。
三日に一度の収穫作業と残り二日の栗の皮むきは毎年ながら大変ですが、
小さな栗でも美味しいと言って喜んでもらえるので、
頑張って栗林の世話と皮むきに励むtokoneko一家です。
栗の時期が終わる頃、コスモス畑が見ごろになります。
今年も栗林から自宅へ帰る前に、
何度か勝山市野向町薬師神谷のコスモス畑を見てきました。
9月末はまだちらほら咲きで、今年も花付が悪いのかしら?と
思っていたのですが、
10月に入ってからはお花も大きく、色も鮮やかで
見頃の11日「コスモス祭り」にぎやかだったでしょう。
(台風18号の影響で、宮ノ下コスモス広苑のお花達は倒れていたそうです)
栗林の世話の合間(三日に一度)に、入院中の実家の母を見舞っておりましたが、
この9日午後3時3分、87歳の生涯を安らかに終えました。
例年ならまだ栗林の世話に通っている時期ですが、
今年はダンナの半日人間ドッグ予定日だったので、
長兄から、母の容態の急変したと午後2時前に連絡があったので、
ダンナの帰りを待って病院へ急行、駐車場に着くころに
母は息を引き取ったそうです。
次兄も外回りの仕事中だったので急いで帰宅し、
次兄嫁を連れて病院へ来るのが私より1時間遅れになってしまいましたが、
共に実家へ母を連れて帰れたのが慰めでした。
前日の8日午後、母を見舞った時、4人部屋から個室に移動していたので
それなりに覚悟はしていました。
実家は農家相手の商売をしていて、この時期とても忙しく、
特に会計を預かっている兄嫁は毎日母の見舞いと家事、家業とで
大変だったろうと思います。それをサポートしてくれていた次兄宅では、
次兄の仕事も大事な時期を迎えていて出張が多く、
昨年嫁いだ次女の出産が迫っていたり(2日無事出産♪)、
そして私は栗林の世話と、全てが重なっていた時期でした。
実際、9月末までもつかどうかと医師の話だったので
母としてはもしかしたら、私達子供の状況を気遣って、
すごく頑張ってくれていたのではと、兄達家族と話しています。
最後の見舞いの時、いつもは涙など出ない私が何故か、
やせこけた母の顔を見て涙が流れて止まなかったのは、
最後のお別れと感じていたのかも知れません。
そして、いつも私を病院へ連れてきてくれていたダンナが
「久しぶりに、おふくろさんの顔を見ていくかな!」と言って
母の顔を覗き込んだ時、
「分かる!○○さんよ」と私が言うと、
にこっとうれしそうに笑ってくれたのが、今も心に焼き付いています。
納棺の時、納棺師の方が化粧をした後
「口紅を引いたら、笑顔になられましたよ」と言ってくださいましたが、
母の顔は、その時の笑顔でした。
母ちゃん、今までいっぱい愛してくれて、ありがとう。合掌
秋桜の 薄紅さして 母逝きぬ tokoneko詠む
旅立ちの 母を見送る 赤とんぼ tokoneko詠む
金木犀 天寿の柩に 沈めをり 紀美子(親戚)詠む
栗林の作業も例年よりちょっと早め(6日)に終えた今年でしたが、
前年の枝打ちや梅雨前のアブラムシへの薬剤散布、
伐採した枝葉やイガを燃やした灰や灰汁の栗木への散布が功を奏したのか、
昨年よりも心なしか大きめの栗を、量も多めに収穫できました。
今年もまた大きめ栗はご近所や知人にそのまま生でもらって頂き、
残りは鬼皮、渋皮を剥いて冷凍保存したり、親戚や知人にお裾分けしました。
三日に一度の収穫作業と残り二日の栗の皮むきは毎年ながら大変ですが、
小さな栗でも美味しいと言って喜んでもらえるので、
頑張って栗林の世話と皮むきに励むtokoneko一家です。
栗の時期が終わる頃、コスモス畑が見ごろになります。
今年も栗林から自宅へ帰る前に、
何度か勝山市野向町薬師神谷のコスモス畑を見てきました。
9月末はまだちらほら咲きで、今年も花付が悪いのかしら?と
思っていたのですが、
10月に入ってからはお花も大きく、色も鮮やかで
見頃の11日「コスモス祭り」にぎやかだったでしょう。
(台風18号の影響で、宮ノ下コスモス広苑のお花達は倒れていたそうです)
栗林の世話の合間(三日に一度)に、入院中の実家の母を見舞っておりましたが、
この9日午後3時3分、87歳の生涯を安らかに終えました。
例年ならまだ栗林の世話に通っている時期ですが、
今年はダンナの半日人間ドッグ予定日だったので、
長兄から、母の容態の急変したと午後2時前に連絡があったので、
ダンナの帰りを待って病院へ急行、駐車場に着くころに
母は息を引き取ったそうです。
次兄も外回りの仕事中だったので急いで帰宅し、
次兄嫁を連れて病院へ来るのが私より1時間遅れになってしまいましたが、
共に実家へ母を連れて帰れたのが慰めでした。
前日の8日午後、母を見舞った時、4人部屋から個室に移動していたので
それなりに覚悟はしていました。
実家は農家相手の商売をしていて、この時期とても忙しく、
特に会計を預かっている兄嫁は毎日母の見舞いと家事、家業とで
大変だったろうと思います。それをサポートしてくれていた次兄宅では、
次兄の仕事も大事な時期を迎えていて出張が多く、
昨年嫁いだ次女の出産が迫っていたり(2日無事出産♪)、
そして私は栗林の世話と、全てが重なっていた時期でした。
実際、9月末までもつかどうかと医師の話だったので
母としてはもしかしたら、私達子供の状況を気遣って、
すごく頑張ってくれていたのではと、兄達家族と話しています。
最後の見舞いの時、いつもは涙など出ない私が何故か、
やせこけた母の顔を見て涙が流れて止まなかったのは、
最後のお別れと感じていたのかも知れません。
そして、いつも私を病院へ連れてきてくれていたダンナが
「久しぶりに、おふくろさんの顔を見ていくかな!」と言って
母の顔を覗き込んだ時、
「分かる!○○さんよ」と私が言うと、
にこっとうれしそうに笑ってくれたのが、今も心に焼き付いています。
納棺の時、納棺師の方が化粧をした後
「口紅を引いたら、笑顔になられましたよ」と言ってくださいましたが、
母の顔は、その時の笑顔でした。
母ちゃん、今までいっぱい愛してくれて、ありがとう。合掌
秋桜の 薄紅さして 母逝きぬ tokoneko詠む
旅立ちの 母を見送る 赤とんぼ tokoneko詠む
金木犀 天寿の柩に 沈めをり 紀美子(親戚)詠む