日本陸軍の船艇という本を読みました。陸軍というのがこの本のミソです。
日本は島国なので、国内が戦場になる以外は陸軍は海を渡らなければなりません。通常であれば輸送船に上陸用の大発と兵員を乗せていき、上陸するところまで来たら大発を海に降ろして兵員を乗せて上陸する海岸に向かうことになります。しかし、これには手間がかかります。そこで、迅速に兵員を乗せた大発を発信できるようにした特殊な船を造りました。今でいう強襲揚陸艦と同じ考え方の船で、当時この船を考え出したのは優れた発想だと思います。
ここまでは良いのですが、日本の陸軍は空母もどきや輸送用の潜水艦まで造ってしまいました。なぜに陸軍が海軍のものであるはずの空母や潜水艦まで造ってしまったのか。ガダルカナルの戦いにおいて、陸軍は師団単位の戦力を送りこみました。その兵員に対する食料、武器弾薬、火砲などを運ぶには輸送船が必要です。
ところが、ガダルカナルでは飛行場をアメリカ軍が押さえてしまい、戦闘機や爆撃機を配備しているため、鈍足の輸送船が護衛の駆逐艦をつけたり、零戦で上空を警戒させたとしても、ガダルカナルの米軍の航空機にはじから沈められてしまいました。そこで仕方がなく、高速な駆逐艦を突っ込ませてドラム缶で輸送を行ったり、潜水艦で輸送したりしました。
ガダルカナルではそれを海軍が行っていましたが、戦局がさらに厳しくなってくると、海軍の潜水艦も沈められたりして補給が思うに任せないようになってきました。そこで、陸軍独自に輸送用の潜水艦を造ろうということになったわけです。いきなり無茶な話ですが、とりあえず造ってしまったというのがすごいところで、実際フィリピン戦に投入されています。
それから、日本海軍は攻撃一本やりの思想だったために、海上輸送の護衛という考え方が希薄で、輸送船団につける護送空母なども少ししか持っていませんでした。そのため輸送船団は米海軍の潜水艦にはじから沈められてしまいました。そこで、潜水艦からの攻撃を防ぐために陸軍が輸送船団を護衛して潜水艦から守るための空母を造ってしまいました。
とまあ、日本海軍が輸送船の護衛という意識が薄く、それに割ける艦艇も少ない。制海権を奪われた中で輸送するには潜水艦しかないが海軍の潜水艦も少なくなってしまった。という現実に陸軍として対応するために、なんとまあ陸軍が空母や潜水艦を造ってしまったわけです。本職でないにもかかわらず、造ってしまったことは認めてあげなければならないなあと感ずるところです。
日本は島国なので、国内が戦場になる以外は陸軍は海を渡らなければなりません。通常であれば輸送船に上陸用の大発と兵員を乗せていき、上陸するところまで来たら大発を海に降ろして兵員を乗せて上陸する海岸に向かうことになります。しかし、これには手間がかかります。そこで、迅速に兵員を乗せた大発を発信できるようにした特殊な船を造りました。今でいう強襲揚陸艦と同じ考え方の船で、当時この船を考え出したのは優れた発想だと思います。
ここまでは良いのですが、日本の陸軍は空母もどきや輸送用の潜水艦まで造ってしまいました。なぜに陸軍が海軍のものであるはずの空母や潜水艦まで造ってしまったのか。ガダルカナルの戦いにおいて、陸軍は師団単位の戦力を送りこみました。その兵員に対する食料、武器弾薬、火砲などを運ぶには輸送船が必要です。
ところが、ガダルカナルでは飛行場をアメリカ軍が押さえてしまい、戦闘機や爆撃機を配備しているため、鈍足の輸送船が護衛の駆逐艦をつけたり、零戦で上空を警戒させたとしても、ガダルカナルの米軍の航空機にはじから沈められてしまいました。そこで仕方がなく、高速な駆逐艦を突っ込ませてドラム缶で輸送を行ったり、潜水艦で輸送したりしました。
ガダルカナルではそれを海軍が行っていましたが、戦局がさらに厳しくなってくると、海軍の潜水艦も沈められたりして補給が思うに任せないようになってきました。そこで、陸軍独自に輸送用の潜水艦を造ろうということになったわけです。いきなり無茶な話ですが、とりあえず造ってしまったというのがすごいところで、実際フィリピン戦に投入されています。
それから、日本海軍は攻撃一本やりの思想だったために、海上輸送の護衛という考え方が希薄で、輸送船団につける護送空母なども少ししか持っていませんでした。そのため輸送船団は米海軍の潜水艦にはじから沈められてしまいました。そこで、潜水艦からの攻撃を防ぐために陸軍が輸送船団を護衛して潜水艦から守るための空母を造ってしまいました。
とまあ、日本海軍が輸送船の護衛という意識が薄く、それに割ける艦艇も少ない。制海権を奪われた中で輸送するには潜水艦しかないが海軍の潜水艦も少なくなってしまった。という現実に陸軍として対応するために、なんとまあ陸軍が空母や潜水艦を造ってしまったわけです。本職でないにもかかわらず、造ってしまったことは認めてあげなければならないなあと感ずるところです。