今読んでいる短編集に四式戦疾風が取り上げられています。中島の戦闘機で大東亜決戦機とまでいわれた機体でした。零戦、隼につぐ第三位の生産機数でした。完璧な機体ならF6F,F4U,P-38あたりとも対等に戦えた戦闘機だと思います。
エンジンが海軍の誉、陸軍でいうとハ45になります。このエンジン小型軽量の18気筒空冷エンジンシで、ちゃんと造られて、ちゃんと整備したエンジンなら素晴らしい性能を発揮したのですが、大戦末期に造られたわけで完全に性能を発揮できた機体は少なかったようです。
ただ、陸軍の航空部隊の整備担当の人によっては、エンジンの部品が壊れたから交換するのではなくて、ある一定の飛行時間を経過したら壊れていなくとも部品を交換するという手法で疾風の稼働率を上げた部隊もありました。外地の部隊ではそのようなことはできないでしょうが、内地の部隊では部品をストックしておいて定期的に交換して、部品は再整備するということができたようです。
ただ、疾風も熟練パイロットがいなくなり、エンジンの整備が整わないという中では苦戦したようです。フィリピンに進出した部隊も、もはや多勢に無勢ではあるのですが、戦果をあげることはできませんでした。
ただ、輪が陸軍にも大戦末期にそれなりの戦闘機を投入できたことが、唯一の救いですかな。
エンジンが海軍の誉、陸軍でいうとハ45になります。このエンジン小型軽量の18気筒空冷エンジンシで、ちゃんと造られて、ちゃんと整備したエンジンなら素晴らしい性能を発揮したのですが、大戦末期に造られたわけで完全に性能を発揮できた機体は少なかったようです。
ただ、陸軍の航空部隊の整備担当の人によっては、エンジンの部品が壊れたから交換するのではなくて、ある一定の飛行時間を経過したら壊れていなくとも部品を交換するという手法で疾風の稼働率を上げた部隊もありました。外地の部隊ではそのようなことはできないでしょうが、内地の部隊では部品をストックしておいて定期的に交換して、部品は再整備するということができたようです。
ただ、疾風も熟練パイロットがいなくなり、エンジンの整備が整わないという中では苦戦したようです。フィリピンに進出した部隊も、もはや多勢に無勢ではあるのですが、戦果をあげることはできませんでした。
ただ、輪が陸軍にも大戦末期にそれなりの戦闘機を投入できたことが、唯一の救いですかな。