石井光太の「物乞う仏陀」の記述から、映画「砂の器」に行き着きました。
四国遍路は不治の業病(ハンセン病)を患った人々の最期の救済の辺地だった。
ご存知の通り、日本映画の名作「砂の器」のクライマックスシーンは、
ハンセン病を患った父子の過酷な巡礼の旅の長廻し(ロードムービー)です。
映画の中では、巡礼の場所を特定せず日本全国を彷徨ったような描き方でした。
でも色々記録を調べてみると、
仏教伝来以降、ハンセン病は前世の悪業が祟ったとされ、本来救済されるべき仏教寺院からも
門を閉ざされた究極の業病だったようです。
(もちろん、それは現在では偏見による遺物です)
私の調べた範囲では、ハンセン病患者を受け入れた救済の場は、
日本全国で、ここ四国だけでした。
世界遺産のサンチャゴ・デ・コンポステーラの巡礼にても、カイラス巡礼にしても、
記録が見当たらない。
おそらく世界史における近世までの究極の救済の場(巡礼の辺地)は、四国遍路だったのではないかと想像します。
もちろん、すべての人が、この業病を患った巡礼者を受け入れたわけではないでしょう。
(でも確実にお接待という風習で彼らを受け入れていた)
かったい道、かったい堂、かったい寺という名称が残るように、
彼らは人目を避けて四国巡礼を続けたようです。
私自身も亡き父母の昔語りのなかで、癩病(ハンセン病)患者を忌み嫌う言葉を聞いた記憶があります。
香川県の大島青松園に四国遍路に依存していた多数のハンセン病患者が強制収容されるまで、
彼らにとって、最後の救済の地であったことは疑いようもありません。
だからといって、四国遍路と観光を主眼とした世界遺産登録には、
ずいぶん温度差を感じます。
昔、この映画を見て衝撃を受けました。
松本清張はこのような差別があるということがメインでは無く、あくまでも社会派推理小説として書いているのですが、映画化に当たりシナノ企画で脚本は橋下忍・山田洋次、監督野村芳太郎が大幅に改変しています。これが共感を呼び、映画として大ヒットしました。
好きな映画の一つです。
よく人権教育で使わせてもらいました。
余談ですがこの映画の音楽「宿命」と撮影、川又の映像との一体化も良かったですね。
”宿命”の作曲家、菅野光亮氏(監修は芥川也寸志)・・・何度見ても感動します。
ラストシーンの文章は今でも生きています。
ハンセン病は 医学の進歩で
特効薬もあって
現在では完全に回復し
社会復帰が続いている
それをこばむものは
まだ根強く残っている
非科学的な偏見と差別のみで
本浦千代吉のような患者は
もうどこにもいない
しかし-
旅の形はどのように変わっても親と子の”宿命”だけは永遠のものである
思わぬところで、四国遍路と映画「砂の器」が繋がりました。
改めてDVDを借りて見直しました。
仰るとおり橋本プロ第一回作品ということで、スタッフの偏見と差別に対する執念のようなものを感じます。
そしてあの音楽は、佐村河内守の交響曲「HIROSHIMA」と重なってしまいます。
ともに過酷な運命と闇を見続ける人たちの救済の音楽です。
サンチャゴ・デ・コンポステーラの巡礼の道を歩く映画、「星の旅人たち」を観ました。
こちらも、なかなかお薦めの佳作でした。
http://www.youtube.com/watch?v=xMW4tlQsQNk