昨年相次いで父母を亡くし、どうしてもその喪失感から抜け出せなかった。
その空隙を埋めるように、生前からの父母との約束だった供養のお遍路の旅に出かけた。
50日間の長い祈りの旅を終えても、まだ私のなかの業は静まらなかった。
また眠れない長い夜を持て余す日々が続いていた。
そんななかで、ある言葉(キーワード)と出会った。
それは大地に沁み入る雨のように、すーっと胸のうちに落ちた。
あぁ、これだ。得心した。
それが雪山堂さん(小野不一さん)のブログ「古本屋の殴り書き」だった。
その広大無辺な迷宮のような宇宙に完全に迷い込んでしまった。
どうも私は、自分の都合の好いように物事を解釈する傾向がある。
途中の過程を端折って、いきなり答えに辿り着こうと短絡する。
それが「縁起」にまつわる解釈だった。
地球上の生き物は、単独で生存できるものはいない。
それぞれの生物種が補完しあうように生命の連鎖のなかで生かされている。
そんな大きな生命の循環を「縁起」と理解していた。
もちろん、それには私たち人と人との繋がりも含まれていると。
どうも、これが怪しい…自己流の解釈のようだ。
さて、この疑問に雪山堂さんが答えてくれた。
12/21付、古本屋の殴り書きより「縁起と人間関係についての考察」
小野不一さん、御丁寧な回答、本当に感謝します。
でも、またコメントの書き込みは弾き返されました(笑)
どうもブロガーのコメントとは相性が悪い。
後段の「依存」については頭で理解していても、しっくりしない気分です。
生き物の循環も相互依存ではないのか?
森の微生物叢(ミクロフローラ)の宇宙に安寧を見出していたのに、
またしても荒地に引き戻された気分…あぁ、これも諸行無常ですね(笑)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます