しばらく原発の話題から距離を置こうと思っていました。
悪戯に皆さんの不安を煽るつもりはないが、
(先日のエントツ山さんのコメントでのご指摘には考えさせられるものがあった)
ただメディア(TVや新聞等)には露出しないような情報を提供することで、
福島第一原発事故によって日本中が放射能で汚染された(否、現在進行形で汚染され続ける)実態を知ってほしかった。
自分たちの住んでいる場所は大丈夫などという傍観者意識ではなく、
福島同様、日本中みんな当事者なんだとういう意識を持ってほしかった。
人は自分の身に火の粉が降りかかってこないと(年金問題のように)本当に真剣にならないものですから。
さて、月末に 武田邦彦氏(私は彼の「地球温暖化の嘘」には首を傾げるのだが)の爆弾発言の動画が登場した。
あと3年、日本に住めなくなる日、2015年3月31日 / 武田邦彦
2015年3月31日の解説・・・なにが「科学的」な解釈か?
三重県の読者の方の測定データから、およそ1年に5ミリの被爆を受けるようになる日にちは、2015年3月31日までというブログを書きましたら、いろいろなご意見が寄せられました。
特にそのなかで多かったのは「科学的ではない」ということでした。そのほとんどのご意見は
1) 被爆が大丈夫だという結論なら、データがなくても科学的でなくてもよい。それは政府が言っていることだから、
2) 被爆が危険だという結論なら、誤差などに十分配慮して言わなければならない。それは政府に反することを言うことが禁止されているから、
というものでした。
政治と科学に関する問題はまた別の機会に書く事にして、2015年3月31日というのが科学であることを一応、説明しておきます。
1) データを取らずに自分の感覚だけである結論を出すのではなく、できるだけデータによることが大切(福島から離れた場所での精密な測定値としてはこれが初めて)、
2) 得られた結果が、それまで自分が考えていたことと違っても、データに基づく方を優先する(私の感覚でも増加率が少し高かったが、データはそうなっている)、
3) データからある結論が得られても、それだけで直ちに最終結論や行動は起こさない(これから多くのデータが出てくるはず)、
4) 福島原発から漏れた80京ベクレルは日本人一人当たりにすると、全員が死亡する可能性のある数値なので、長期的な汚染に気を配らなければならない
(本来は政府や自治体、国立研究所等の税金をもらっているところの仕事)、
5) 今回が第一回の試算なので、誤差は大きいが、多くの人が線量率を測定すれば、誤差は少しずつ小さくなる。
・・・・・・・・・・安全というなら問題なし・・・・・・
東京都世田谷区は子供を汚染地域(群馬県川場村)に連れて行くことについて「安全宣言」をしていますが、その根拠は群馬県立県民健康科学大学大学院・診療放射線学研究科の杉野雅人准教授が
「2泊3日での平均被ばく線量は0.135μSv/hで、健康に影響を及ぼすものはない」ということを根拠にしています。
このような計算こそが「非科学的」なのです。つまり、被爆と健康の関係は「1年間でどのぐらい被爆するか」ということで、ある場所に2泊3日で行く子供が、
「それ以外の場所で残りの363日をどのように過ごすか」を計算しないとどんなに曖昧であっても科学的な結果はでません。
たとえば「水銀の規制値の10分の1の水銀が入っている魚を食べても大丈夫か?」ということに対して「食べても良い」というのは科学的に正しくありません。
「1年に10匹以内なら」というべきですし、良心的な表現は「規制値の10分の1だが、できれば食べない方が良い」と専門家は言うべきでしょう。
つまり、1時間に0.135という数値は外部線量だけですし、そこで勉強する子供たちが他の時間をどのぐらいの被爆をしたり食材を選んだりしているかを考慮しなければならないからです。
1年は8760時間ですし、外部線量以外の被爆もありますから、0.135*8760/1000=1.2ミリシーベルトになり、外部線量の限界0.4から0.5を大きく超えるからです。
准教授の先生は、専門家ですからこのブログに書いてある、広島、長崎の被爆とがんの関係の論文も読んでおられると思われますが、
世田谷区が実施しようとしている教室にいく子供のなかに必ずがんがでるということになりますが、それに対して専門家として責任が取れないとおもいます。
子供の健康を心配するお母さんは、論文にも法律にもそっていますが、世田谷区、群馬の先の大学の准教授は非科学的、違法なのです。
「お母さんはそこまで計算できないだろう」という前提で強引に行事を実施するのはよくありません。
このような計算が日本社会のどこにでも(学校の行事、ガレキの移動など)あるのに、「非科学」が優先されるのは「被爆は大したことはない。
データや法律は無視する」ということが現代の日本社会では「良いこと」となっているからでしょう。
特に子供と被爆の問題では、将来を考えるということで抵抗感が強いようです。
それは日本人の大人は「原発の電気は欲しいけれど、核廃棄物は子供に任せる」という基本的な態度を変えないところにこのような問題が起こる真なる原因があるとおもいます。
責任ある大人として行動して欲しいものです。すでに核廃棄物はどこにも行き場がなく、原発内に6万本も溜まっています。いったい、それをどうするつもりなのでしょうか?
(平成24年4月30日)
一番楽なのは「荒唐無稽」と目を背けることでしょう。
たぶん、この反応が多数を占めると思う。
面倒なことは全て先送りする(目を背ける)従来からの日本方式です。
朝日新聞でも、毎日ずっと掲載していた東日本の放射能測定値が、いつのまにか紙面から消えてしまった。
低線量被曝の症状は、これから出てくるというのに。
積算する放射能の値を隠してしまっては何にもならない。
毎日、広報している電力予想のように各自治体で毎日の放射能測定値を出してほしい。
これは、これから日本での暮らしの常識となるべきデータでしょう。
体脂肪やカロリーを測るように放射能測定値を知ることが。
たぶん行政はやらないだろうから、私たち自身が自己防衛するしかないのだろう。
小さな子供が首都圏で暮らしてゆくのは本当に危ないと思う。
真剣に、まだ線量の低い西日本か、海外への移住を考えるときに来ている。
その上、移住した西日本も危ないと判断するには毎日のデータが必要だ。
福島から放出した80京ベクレルという数字は、そういうシリアスな数字だと思う。
私自身は、それを受け入れる用意があると思う。
ただ残された時間が、どれくらいかは知っておきたい。
決して絶望はしない。
でも、あのクソみたいな嘘に騙されたまま死ぬのは御免だ。
早まるかもしれないという試算だ。
武田氏自身も書いているように「まだ一回目の試算なので誤差も大きいだろう」と。
とにかく、この人は表現が大袈裟だ(苦笑)
ただし楽観は許されない。
されど過度な悲観も、生き方の選択肢を狭くするだけ(反省)