Landscape diary ランスケ・ ダイアリー

ランドスケープ ・ダイアリー。
山の風景、野の風景、街の風景そして心象風景…
視線の先にあるの風景の記憶を綴ります。

MOTHER

2010-12-29 | 家族
Mother you had me but I never had you
I wanted you but you didn'nt want me
So I got to tell you
Goodbye goodbye
John Lennon 「Mother」
 (YOU TUBE の動画にリンク)


     
 
 父を見送ってから、日増しに母の存在が大きくなってきた。
 もし母を失くしたら私は二度と立ち上がれないだろう
 と確信めいた予感が私の心のなかにあった。

 なのに…まだ母を亡くして一週間も経たないというのに、
 もう母を忘れる時間を過ごそうとしている…なぜ?本当に不思議だ。

 病院から連絡を受け、深夜の病院へ駆けつけた時、
 私は人目も憚らず母の遺体に縋って号泣した。
 痛切で身も引き裂かれるような想いだった。

 それから仮通夜、通夜と二晩、母の遺体の側で過ごした。
 徐々に体温を失ってゆく母の側に寄り添い、ずっと語りかけていた。

 弔問客の誰もが云うように、母は穏やかな死顔だった。
 息を引き取るまでの数日は、ずっと息苦しそうに眉をひそめていた母。
 その苦しみがすーっと退いていった臨終の時間…
 それを思うだけだで本当に救われる。
 例え臨終の瞬間に立ち会えなくても、その時間を想像するだけで
 心が浄化される。
 そう母はクリスマスイブの日付が変わろうとする時間に召された。
 カトリックの幼稚園で過ごした母が、最後の瞬間、聖なる時間のなかで
 安らかに息を引き取ったと考えただけで心底救われる想いだ。

 もう私自身の後悔など、どうでも良い。
 母の晩年は、決して幸せだったとは云えなかったかもしれない。
 そのままならぬ苦しみや癒されぬ孤独から
 やっと開放された母を温かく見送るべきだろう。

 お母さん、お疲れさまでした。
 帰郷してから、母さんや父さんと過ごせた時間は幸せでした。
 もし東京で暮らしていたら決して味わえなかった「かけがえのない時間」を過ごせました。
 本当にありがとう父さん母さん…
 さようなら父さん…さようなら母さん…

  

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8 コメント

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やはり、時が最大の味方 (kyo-chan)
2010-12-29 19:11:56
 どんなに優しい慰めの言葉も、時の流れには勝てないと思います。慰めの最大の味方は「時」。しかし、心情を内に閉じ込めることなく発露することで弱まることは経験則で確信します。

 悲しさはだんだんとその感情が浄化されて事実だけが残るようになると思います。それだからこそ、人間は明日に生きることができるのだと思います。言わずもがなのことですが。

 デンジャラスK氏も彼らしく冷徹に事実を述べることで、最大の慰めを言われていますが
確かに「宇宙の摂理」「死ぬ時は死ぬ」。
その通りですが、・・・・・。
「生老病死」の悩みで宗教家が失業する。(笑)
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良寛 (デンジャラスk)
2010-12-29 21:31:00
「死ぬときは死ぬが良かろう。」と言ったのは良寛だったはずです。
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悲しみの癒える時間 (ランスケ)
2010-12-30 01:07:49
父を亡くした時は、あれほど悲しみが癒えるまで時間を要したのに、
どうしてこんなに簡単に悲しみが引いてゆくか不思議です。

父の葬儀から僅か8ヶ月で母を見送ることになった諦念でしょうか?
それとも、もう近親者の死に対して免疫が出来てしまったのか?
半年近い入院生活の過程で、母の生命が近い将来消えてゆくことを
あらかじめ医師から告げられ、死への心の準備が出来ていた所為でしょうか?

そんな自分自身の感情を持て余し、母への鎮魂歌を綴りました。
ジョン・レノンの「Mother」は父母に捨てられた
ジョンの魂の叫びですが、痛切なジョンの歌声を聴いた瞬間から
父母を相次いで失った私自身の心情を鷲掴みにして離しません。
今回の記事の冒頭に「Mother」のミュージッククリップをリンクしました。

kyoichさん、あなたの仰る通りです。
先人が言ってきたように、「だから明日を生きることができる」のでしょうね。

デンジャラスKさん、アメリカインディアンも
「今日は死ぬには、ちょうどいい日だ」と云っています。

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カタックリさんからの弔意 (ランスケ)
2010-12-31 07:58:30
昨夜、カタックリさんから携帯に連絡が入った。

あれ程親身になって父や母のことを心配してくれていた人からの
音信が途絶えていることに不審を抱きながらも何か事情が
あるのだろうと思おうとしていた。
そしてまた何度も母を見舞って励ましてくれた人が沈黙していることが
とても哀しく寂しくもあった。

暫し沈黙の後、「ごめんなさいね」と話し始めたカタックリさんのお話に
すべてが氷解した。
PCの故障や色んな事情が重なったようだ。
ありがとうございます。カタックリさん。
連絡をもらって本当に嬉しかった。

私は、たくさんの人の善意に支えられている。
葬儀に参列してくれた今治のKさん、改めてあなたの変わらぬ友情には感謝です。

2010最後の一日。
父母を相次いで喪うという大きな災厄に
見舞われた一年でしたが、
ブログに心象を書き綴ることで心のバランスを保ち、
なんとか父母を見送ることも叶いました。

ブログを訪れてくれた沢山の声なき人々にも改めて感謝します。
毎日訪れてくれるブログ訪問者の数字は、私の心の支えになりました。
ありがとうございました。

皆さん、良いお年をお迎えください。
私も挫けないで前向きに生きてゆきます。

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遅くなりました (千代)
2010-12-31 08:57:51
お母様が亡くなられたとか、謹んでお悔やみもうしあげます。
ランスケさんの“近親者の死に対して免疫が出来てしまったのか・・”との思い

私も、父を9歳の時に、母を15歳の時に亡くし、この世でこれ以上つらい事はないだろうという経験をしました。それ以来、いろいろな事がありましたが、最近の子供への虐待が子供の頃に受けた自身の虐待が原因の事が多いという事実を見聞きして、私は両親と過ごす期間が少なかったですが愛されていたと言う記憶で今まで生きる事が出来たんだな~と思っています。

何を書こうとしていたのか、うまく書けません。落ち着かれたら『石鎚山の四季』を再開して下さる事をいつまでも待っています。
返信する
御弔意に感謝 (ランスケ)
2010-12-31 12:47:54
お千代さん、思い掛けない弔意に感謝します。

「風景写真」新年号の美しい風景写真100人展への作品掲載おめでとうございます。
掲載作品の桂の巨木に対する視線、そして写真集「精霊の森」のテーマ性、
お千代さんには私と共通する森への深い慈しみの目線を感じていました。
そう云えば、初めてお会いしたのも皿ヶ嶺の森でしたね。

母は2歳で親に捨てられました。
それでも養母の深い愛情に育まれて、私たち3人兄弟に、
不器用ながら精一杯愛情を注ぎ育ててくれました。
(長兄は母に愛されなかったと思春期苦しんだようです)
石鎚山を舞台にした天童荒太の「永遠の仔」も
親に虐待された子供たちの物語でしたね。

核家族化の当然の帰結なのでしょうか?
高度資本主義末期の歪みに喘ぐ先進国では、
この虐待の問題が、どの国でも膿のように顕在化しています。
成長の過程のどこかで虐待に傷ついた子供たちが
愛情を享受することが必須だと思います。

私は、ふた親の最後を私なりの愛情で報いることが
出来たことが何より幸せでした。

母の49日の法要、納骨後、石鎚への封印を解こうと考えています。
またお山や皿ヶ嶺の森でお会いしましょう。
心の篭った御弔意ありがとうございます。
返信する
みなさんの温かい心感じます・・・ (カタックリ)
2011-01-02 01:28:47
ランスケさん 2011年になりましたね。
昨年は ランスケさんにとって とても辛い
年になってしまいましたね。
最愛なるご両親の死 誰もが経験していかねばならない辛い道ですね。
私にもすでに両親はなく 時々 両親の写真をみて思い出したり お墓参りにいったりと
遠い思い出がよみがえります。
そうですね~18歳まで過ごした宇和島の思い出です。
あの長屋式住宅の温かい人たちに囲まれて過ごした子供の時代に両親の思い出が多いですね。

人情のある町でした。あれから40数年経ちましたが 今はどんなに変わっているのでしょうか。
そうですね~人の心も 時が解決してくれ 思い出に変わっていくということでしょう。
今は とても辛く寂しいでしょう。
お母様も 天国でSさんと再会され 仲良くお話されていると思います。
早く元気になってくださいね。 
そして 心落ちつかれましたら「石鎚山の四季」のHPの再開をと願っているのは私だけではないと思います。あの素晴らしい石鎚の自然界の心のこもった写真たち。私も 大ファンの一人として心待ちにしています。

実は 元日に ランスケさんは 喪に服されているのに申し訳ないのですが 石鎚山に行ってきました。○○の石鎚山登山に参加してある女性と出会いがありました。
山のお話を帰りの車の中でしていました。ランスケさんと初めて出会った石鎚山でのお話をしましたら~その方って「Do○さん」でしょうって言われて びっくりでした。
ネットの世界に人と人とのつながりを強く感じますが 山を通じてもたくさんの方との出会いを感じます。

その女性とは ランスケワールドのコメンターの方でした。以前 ランスケさんが女性を山に案内していた方だと思います。
まだ 私にはHNはわかりませんが ランスケさんにはお分かりでしょう。
私のアドレスを教えて帰りましたので いずれ
メールが来ると思います。
ランスケさんの喪があけて心落ち着かれましたら 一緒に石鎚山に行きましょうねといって
お別れしました。
今日は石鎚山に行くのにam2時集合でしたので
帰宅して睡魔に襲われ寝てしまいましたので
こんな夜更けにメールをしました。

最後に素晴らしいお母様の思い出の写真とお母様とSさんのツーショットの写真を見させていただいて お母様に最後に会ったときの穏やかな優しいお顔と白髪で杖をついて透析にこられていたお二人を思い出しました。
お二人のご冥福を祈って合掌です。
返信する
石鎚は暫く封印 (ランスケ)
2011-01-02 12:24:12
カタックリさんは元旦石鎚登拝でしたか。

成就社境内のライブカメラを観ていると、
お山は終日雲の中だった様子。
大晦日の白石さん(愛大山岳会会長さん)との電話で、
今年の石鎚は、年末から降り続けた大雪でトレースも
消えてしまい御来光登拝の一般登山者は苦労するだろうな
と話していたところでした。

あぁマロンさんと元旦登拝で会いましたか。
彼女は近年、石鎚元旦登拝を恒例としているようです。
カタックリさんとマロンさんは一度、二年くらい前の
秋の石鎚で会っている筈です。
その時、私がちゃんと紹介しなかったから記憶に残っていないかもしれませんね。

神棚封じと云って喪中は、神社への参拝は禁忌とされるようです。
毎年年始は石鎚神社の御札をもらっていましたが、
今年は母の喪が明けるまで石鎚山は封印です。

そう云えば昨日、八坂寺までの初詣の途中で、
お山の主、福島さんから携帯に連絡が入りました。
福島さんもお母様(92歳)が入院して嚥下障害を起こしている様子。
鼻からチューブを通されているのも母と一緒。
「胃ろう」の手術は絶対しないようにと念を押しておきました。
福島さんも私同様、しばらく石鎚は封印です。
お山から次々馴染みの顔が消えるのは寂しいですね。
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