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彼岸花は自然の花ではない。
人の手によって植えられ繁殖した植物だ。
文明開化の日本に入り、すっかり秋を代表する花となった秋桜(コスモス)と同じように考えた方が良さそうだ。
原産地は中国揚子江周辺らしい。
いつ頃、日本に入ってきたか、どうも定かでない。
稲作と共に入ってきた説が有力だが、
これほど異彩を放つ花が室町時代くらいまで文献にほとんど出てこないこないのだ。
確かに秋の七草に登場する花々を見れば分かるように、
大和好みの花では決してない。
(例えば万葉集に出て来る一番多い秋の花は、萩である)
明治以降、派手な園芸種の花々が入ってきて美意識が西洋化した
近代日本人だから許容できる花だろう。
もし稲作伝来の弥生時代に入って人里周辺に咲いていたのに、
万葉人や平安の雅な歌人たちに、まったく無視されたこの花は、何だったのだろう?
死臭を消すために墓場に植えられた毒草は、忌まわしい言葉に出してはいけない花だったのだろうか?
曼珠沙華という名前に込められた意味も、
この世ならざる彼岸の花を意識させられるネーミングだ。
台風一過の雨上がりの夕暮れ、
散歩の途中で黄昏の光に染まる彼岸花。
田圃の畔にネコジャラシ(エンコログサ)の揺れる穂波の黄金との配色なら納まりがいい(笑)
ついでに河川敷の斜面を染めるツルボの群生も。
夕映えの空が薔薇色に染まる。
「飛行機雲」なんか口遊みながらの帰り道。
この存在自体が現実離れした花の起源を辿ってゆくと、それ自体がミステリアスな謎を孕んだ物語です。
御指摘通り、梨木香歩の森羅万象の不思議を描く物語世界と共通しますね(笑)
鬼城さんのブログで、うわつさんがコメントしているように、
万葉集で唯一、彼岸花を詠んだ歌は柿本人麻呂の一首だけ。
その壱師という名称も、彼岸花なのか定かではありません。
もし身近に存在していたのに無視されたのなら不思議ですよね。
あの時代、言葉は言霊といってそれ自体が霊力を持っていました。
発してはいけない禁忌の言葉もあったのでしょう。
いよいよ幽玄の神仙世界へ導かれそうな予感(笑)
異界の花、曼珠沙華、もう少し膨らませてみましょうか?
このところ、虹は愚か茜色に染まるゆうぐれを見た事が無いのです
冒頭の画像、お見事!
帯か振袖の柄にと思うのは私だけでしょうか?
単独では浮いてしまう異色の存在も
こうしてみれば芸術です
またまた刺激戴きました
明日は雨の森とはいかないかも?
聴いていました
雨が上がったらと、頭の中では異界の花、曼珠沙華のイメージが膨らんでいたのですが、
思い描いた通りの光が射す場所が見つかりません。
スタジオ撮影でない限り、自然光では、そんなライティングが可能な場所を探すしかありません。
まだ松山近郊は彼岸花の開花が場所によってバラバラなのでチャンスがあるかな?
エンコログサと彼岸花のパターンは、misaさん御指摘のように装飾図柄の手法ですよね。
何処かで伝統技法の美しい図柄が頭の中にあったのかもしれません?
こういうことが写真に限らず、先人たちの残した優れた表現に学ぶということだと思います。
その引き出しが多いほど、創作のイメージは豊かになります。
ひこうき雲は、一度長谷川きよしの歌を聴いてしまうと、
もうオリジナルのユーミンは聴けません(笑)
導入部から粒立った言葉が、風景の広がりや肌触りを鮮やかに浮かび上がらせてきます。
思春期の心情やあの頃だけにしか見られない風景の色まで。
これが歌の力だと思います。
昔は、長谷川きよしの卓越した力量がうまく理解できませんでした。
数年前に観たNHKの長谷川きよしのライブ活動を追ったドキュメンタリーで、びっくり。
この人のミュージシャンとして力量は次元が違い過ぎます。
残念ながら現在の日本の音楽シーンでは、この人の居場所は無さそうです(哀)
Live「別れのサンバ」鳥肌ものです。
https://www.youtube.com/watch?v=2qMzBDe66s8