暦の上では、もう春。二月四日は立春でした。
その前にコロナ禍新春の大事な行事。二月三日。一年の厄を祓う石手寺の節分会は、
今年も連日感染者拡大の猛威が治まらない状態では、あの人混みに足を向けることはリスクが高過ぎて諦めました。
感染者拡大ばかりでなく入院療養中の重症者も死亡者も日増しに増えてきています。
結局、新型コロナウイルスは二年前から、ずっと基礎疾患のある我々高齢者には、命の危険を伴う感染症であることは変わらない事実なのです。
そして感染防止の頼みの綱である3回目のワクチン接種も、2回目接種から6カ月に前倒しされたというニュース報道の後、
いつまで待ってもワクチン接種券の郵送配布は、なかなか訪れないまま時間ばかりが経過します。
こんな状態では怖くて、必要最低限の日用品の買い物以外は、外出も憚られる(汗)
生活は便利にはなったが、病気療養のために転院した市街地の総合病院近くに引っ越したことが、
周囲の人口密度が高いために反って仇となってしまったようだ。
でもさすがに家に閉じ籠り息を顰めていることにも限度がある。
交感神経から副交感神経への体内時計の切り替えが正常に機能しないまま、自律神経に変調がきたし始めた。
とりあえず近所の石手川公園の散歩だけでも人の少ない時間帯(視野障害があるので明るい時間)を狙って再開してみた。
白杖を使い始めてから二カ月が経過して、この視覚障害者用の杖の使い方にも慣れてきた。
この白い杖は山用のストックと違って体重を預けて足場の悪い所を歩くようには作られていない(非常に滑りやすい)
白杖は足替わりではなく、第2第3の目や手の替わりに周囲の空間認知、触手する(探る)ための道具なのだということが、経験知として分かってきた。
だから足場の悪い郊外散歩の時は、山用ストックも併用して携行するように身体障害者として生きて行く上の知恵も徐々に身に付いてきたようだ(笑)
さて一日晴天予報の2/4、立春の日。
意を決して石手川公園より少し足を延ばして、郊外散歩です。
狭い空間に不特定多数の人と同乗する電車やバスの公共の乗り物を使わなくても移動できる範囲内で。
幸い私は脳出血による入院前から、日常的に山歩きや自転車で意識的に足腰を鍛え心肺機能や身体機能の健康維持には心掛けて来たので、
脳出血による後遺症として徒歩以外の移動手段を奪われても、
一日10km20kmくらいの距離を歩いても明るい昼間の移動なら大丈夫であることは、退院後の9か月間で経験知として徐々に分かってきた。
好きなことを続けた結果だったとは云え、視野障害だけでなく生物として身体機能が徐々に経年劣化してゆく老齢の晩年になって、
この健脚で健康であるという身体機能の貯金は、身に沁みて有難い。
これも父母の介護のために帰郷して、二人の老齢による身体機能の衰えを最期の日までずっと見守ってきた結果なのです。
人という生き物は自立歩行できなくなると、健康体で生存維持することが目に見えて困難になってゆく過程を20年間ずっと間近で見て来たのですから。
そんな亡き母への想いもあって、今日の散歩道は、母の通院のために車椅子を押して通っていた、あの小野川沿いの散歩道とした。
市街地近郊で田園風景が広がるあの場所ならば立春の春の気配を感じられるだろう?と思った(笑)
陽光溢れる川沿いに水仙と菜の花の芳香が漂い春の使者蜜蜂の訪れを期待した。
残念。
まだ春は名ばかりの川面に反射する光に春を感ずる「光の春」でした。
帰宅して調べてみると蜜蜂は気温10℃以上くらいまで上がらないと吸蜜活動を開始しないそうです。
あんなに沢山水仙と菜の花が花咲かせていたのに虫の気配を感じないのが不思議でした。
でも同じく散歩に連れ出してもらい御機嫌の犬さんとも挨拶を交わし、
また母の存在を身近に感じながら歩く菜の花と水仙の散歩道は、久しぶりの命の洗濯でした(合掌)
田圃沿いの畦道にはタンポポとオオイヌノフグリとホトケノザといった、ほぼ一年中見られる野草ばかりでした。
また機会を見つけて春を探しに郊外散歩に出掛けたいですね(笑)
2/6。追加の最新情報です。
東大先端研の児玉龍彦教授の
デルタ株の新たな変異種出現 東大先端研・児玉名誉教授「コロナウイルスはまだまだ進化している」【報道1930】(TBS系(JNN))
週刊女性の連載「人間ドキュメント」 タルマーリー渡邉格・麻里子の記事も
これからのポストコロナの時代を生きる共生共存の未来の世代のための希望ですね。「田舎のパン屋が見つけた腐る経済」読了後以来のファンです。
もう一点、「人新世と気候工学、経済思想と環境倫理学の対話」もお薦めの記事です。
もう知性の欠片もないネオリベの乱暴で利己的な主張(歴史修正主義を含めた反知性主義的言説)には、うんざりしていました。
もう
仕事がこんでいるのか、それとも怠慢か?
日本国中格差が出てきているようですね。
私は3回目終わりました。
その晩は接種場所の痛み、次の日も・・・午後から発熱があり、帰宅しました。
一晩寝た後に復帰できました。
今回は誰に聞いても副作用があるようですね。
さて、写真を見る限り、復活の兆しが見えるようです。
玉惚け、春らしい雰囲気、いい写真に仕上がっています。m(_ _)m
自然は厳しく、立春寒波は続きます。
宇和島地方は河津桜の開花がもうすぐと聞いています。
私は保健所に電話で問い合わせ、7/9日以降に接種券の郵送が始まることを確認しました。
さぁ、この感染力の高さを考えると、本当に微妙ですよね。
なんとか感染しないまま3回目のワクチン未接種が間に合ってほしいところです(汗)
ダメな場合は、これが私の寿命だと諦めるしかなさそうです。
今67歳です。
充分人としての寿命を全うした年齢だと思います。
さっきまで石鎚山岳写真仲間(大先輩)の三浦さんと電話で話していました。
まだ石鎚の霊峰としての神話世界を撮り尽くした感じはありません。
でも、この視野障害で真っ白の厳冬期の山へ入ることは自殺行為なので、
視野障害の回復を待つまで、この望みは叶えられません。
コロナ禍も第6波が終息しても変異を続けるウィルスとの共生は、もはや避けられない事実となってしまいました。
感染症の他にも気候変動という地球規模の危機が避けられない現実として目の前にあります。
年末から読んできた生命科学の本は地球38億年の単細胞生物から始まった生命進化の歴史を辿ってくれました。
生命体は命を繋ぐために度重なる環境変化の中で進化を続けてきました。
鬼城さんも御存知の通り、
種の保存、進化の法則は、食物連鎖の「弱肉強食」ではありません。
環境の変化に適合した「適者生存」が、現在も生き残った地球上の生物進化の法則の結果なのです。
あの最強と云われた恐竜も環境の変化には耐えられず絶滅したのですから。
現在の地球規模の危機は人間の経済活動がもたらしたものとして、
ノーベル化学賞受賞者のバウル・クルッツェンは、
地質学的に見て地球はあらたな年代、「人新世」の時代に突入したと云われています。
さぁ、この自らが招いた環境変化に人類は生き残ることができるのでしょうか??
それを見届ける時間は無さそうなので、
我々自らが、この環境変化を元通りに戻す努力をするほうが早いように思えます。
適者生存として生き残るために。
未来の世代のために。
共生共存の利他的世界再生のために。