この週末も天気が悪いので自宅待機。
初夏の皿ヶ嶺に咲く花々からピックアップ。
どうしても一番好きな一輪草や山吹草、そして山芍薬の華やかさ。
すべて花を際立たせる光を待っての撮影です。
世界を震撼とさせたコロナ禍も第一波のピークを越えたようで、各国とも出口戦略を探り始めました。
しかし、一早く抑え込みに成功して経済活動も再開し日常生活を取り戻したかにみえた韓国やドイツで、
早くも新たな感染者が続出してクラスターの発生です。
いやはや、このウィルスとの攻防は一進一退、まだまだ先は長そうです。
コロナ禍を巡るいろんな識者の発言に目を通してみて、
長期戦覚悟の気持ちの落とし処として最も共感できたのは歴史学者、與那覇潤の文章です。
以下全文を引用します。
コロナウィルスに感染しやすい医療従事者やその家族が、いじめにあう例が続いている。
世論が強く反発し、抗議するのは当然だ。
しかし「彼らを差別するな」と憤る人が裏面で政府の掲げる「接触8割減」に賛同し、
従わない相手を「不謹慎だ」と叩く例も目立つ。
これは奇妙である。
首相や厚労省の対策班は当初、人との接触をそこまで極端に減らすことで、
流行を一カ月で収束させたいと表明した。
換言すれば、ウィルス自体がこの国に広まっては「いけない」ものなので、
短期間で根絶するという趣旨になろう。
だが行動制限とは本来、そうした発想に立つものではないはずだ。
感染自体は自然現象で、よいも悪いもない。
ただし全員が一斉に罹患すると病院がパンクするので、
流行の速度を落とし、長期にわたってウィルスを飼いならしつつ病気と共存してゆくのが、
目下の欧米諸国の現状である。
一カ月でこの国から追い出すべき病気なら、誰だってうつされたくないと思うだろう。
そうした政策を煽りながら、帰結としての風評被害に対してだけ「同情」を寄せるあり方は、
自作自演だと気づくべきだ。
私たちの国は、収容所国家ではない。
日本ではコロナの死亡率が低く、体が弱って危険な人を防護できれば、
大勢にとって「かかっても治せばよい」普通の病気になる。
そう認識することだけが、差別をなくす方法である。
無症状や軽症の人があまりに多く、そんな人が病院に運ばれ院内感染をするケースが多発しているので、
この文章のように楽観は許されないのですが、
それでも、この文章の底流にある感染自体は自然現象なのだから、よいも悪いもない。
という自明の理に立ち位置を置くことは、これからの長い時間を過ごす上で、
ずいぶん気持ちが楽になりますね。
くれぐれも、あの世界一自己肯定感が低いといわれる日本の若者に植え付けられた
弱者苛めの「自己責任論」という牢獄には陥らないように。
何を信用して良いのか・・・
以前にも書き込みさせてもらったが、スペイン風邪の教訓を生かさねばならない。
つまりウィルスとの共生・・・
そのために何をするかが課題である。
今政府がやらなければならないことは、教訓を生かして基礎を考えること。
いじめや施設不足の解消、医療者への援助だ。患者さんや死亡された数では決して無い。
野山に行きたい・・・
普通の生活、これを望む一人の人間として・・・
足元からそれまでの価値観を覆すような厄災に出会うということは、学びのチャンスだと思っています。
8年前の東日本大震災の時も、足元から崩れゆく文明の脆弱性に「知りたい」という欲求が沸き上がり、手あたり次第に情報や文献を当たり続けました。
それでは足りずに福島の被災地へも足を運びました。
今回は、それを上回る世界規模の厄災です。
とにかく「知りたい」です。
カミュの「ペスト」も再読しました。
シンギュラリティ以降の世界、「ポスト・キャピタリズム」もマルクス・ガブリエルの本と一緒に読みました。
疫病と人とのかかわりは長い歴史があります。
ウィルスに感染するということを「犯罪」のように攻撃する風潮だけは、絶対避けなければならないと思っています。
そこから始めないとウィルスとの共生なんてありえませんから。
そのためには「感染自体は自然現象」であるという立ち位置が必須です。
與那覇潤の文章には、ずいぶん救われました。
私には分からないことだらけです。
とにかく「知りたい」です。
無知であることは、暗闇を手探りで進むのと一緒です。
足元を照らす灯りと地図とコンパスが欲しい。
ぜひ一読を。
https://www.primate.or.jp/serialization/12%EF%BC%8E%E3%80%8C-%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%81%A8%E5%85%B1%E3%81%AB%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%82%8B%E3%80%8D/