白神山地のシンボル、樹齢400年超すブナ倒れる…今冬の大雪時に見つからず。のニュースに驚いた。
秋田白神ガイド協会の斎藤栄作美会長(72)が現地で確認し、「白神山地の主のような偉大な木だった」と惜しんでいる。
400年ブナは、樹高26メートル、幹の周囲4・85メートルで、国有林にある巨木を集めた林野庁の「森の巨人たち百選」に選ばれている。
ブナの寿命は250年程度とされる中、推定樹齢は400年を超えており、白神山地の秋田県側のシンボル的な存在だった。
。この樹は2014年夏の東北自転車旅の時に実際に出会っている。
日本の森を代表する神話的な樹の命の終焉は、何か今という時代を象徴するようで、とても切なく哀しい。
マザーツリーの初見の印象は、思ったよりも小さいと感じた。
幹回り4mクラスは、四国山地の森では巨樹とは云わない。
帰郷してからに20数年間、四国山地の森を巡り、幹回り5m~6mクラスのブナの巨樹を撮影し続けて来たので。
以下の四国を代表するブナの巨樹、八方ブナは、幹回り6mを越えます。
でも、もう現在の身体(最近、視野が暗くなり始め日増しに失明の恐怖に怯えている)では、
東北の森は疎か、近郊の森歩きもままならない状態。
また何時か?生きていられる間に、豊穣な生命の揺り籠、森歩きを楽しめる日が、森に還る日がやって来るだろうか?
そして日本の豊かな森の象徴、白神山地のマザーツリーの生命の終焉に合掌。
内田樹のTwitterで、ブルース・ジョンストンのDisney Girlsに寄せた言葉が、ずっと頭に焼き付いてH離れませんでした。
今日のマザーツリーの最期のニュースに、そのまま引用させてもらいます。
さようなら Mothertree。忘れないよ。
ブルース・ジョンストンのDisney Girls はカバーの多い曲ですけれど、カバーが多い曲は「もうそこに存在しないものを哀惜した歌」ではないか?
という仮説を立ててもいいですか?
以前に谷崎潤一郎の『細雪』がどうして世界文学になったのかということを考えたんです。
これを自国語に訳した人は「この人が失ったものは、私が失ったものとどこかで通じている」と思ったんじゃないかと思います。
人種も言語も宗教も生活文化もまったく違う人同士が「たいせつなあるものを失って、もう取返しがつかなくなったときの悲しみ」
だけは共有できるということってあるんじゃないかな。
Disney Girls は1957年のアメリカの小さな街に当たり前のように存在していたイノセントな日々がもう二度と戻って来ないという悲しみを歌ったものです。
「二度と戻らないイノセントな日々」については世界中の人がその欠落感を共有することができる。
しかし、倒木など見聞きするたび寂しくなります。
白神山地も神宿る山!
自然界の中の神に生かされているような気がしてならない今日この頃です。
散歩には良い季節を迎えました。
無理せず、頑張りましょう。
https://blog.goo.ne.jp/toshiaki1982/e/5be8de3a413d5e622cc7ec7837de7b9b
100年を超えて生きる生命体は人間でも自然界でも特別な存在なのです。
もう取返しの効かない、かけがえのないものを失った喪失感の哀しみ、切なさを、
日本人は「もののあわれ」という言葉で古(いにしえ)から表現しました。
私の身体障害も突然襲ってきた暗闇に先行きが見えなくなりました。
コロナ禍の生命の危機を乗り越えた希望の春、桜の季節を迎えたはずなのに??
最期の桜になるのかな???