なぜ私たちは変われないのか?
3・11以降の二年間、特に衆参二度の国政選挙を経験して、
私たちは幾度も立ち止まり、その問いを発し続けてきました。
特に最近強く思うのは、人は生物としてニッチ(環境適応地)で生き残るすべを失ってきたのではないか、というとてもベーシックな疑問。
どう考えても、この2年間の流れは、生物種としての生存の適応性を失い、ひたすら自滅に向かっているようにしか見えない。
こんな理不尽な流れの中で、むざむざシステムに呑みこまれ死んでゆくのは、まっぴら御免。
何が起こっているのか?
その欠片でも知りたいと、悪あがきを続けてきました。
この夏は、二度ジュンク堂書店に足を運んで本のまとめ買いをしました。
それぞれに選んだ本の中に、示唆的なメッセージを汲み取れるのですが、どうもピンとこない。
岩波ブックレットのTPP関連の冊子から、この本に辿り着きました。
ルポ貧困大国アメリカという岩波新書の話題のルポタージュ三部作の完結編だという。
これには驚いた。
確かに以前から何度も云われてきた「1%の富と残り99%の貧困」という構図だ。
でも、富が必然的に、そこに集中するシステムの具体的な例証の数々には、
ページを繰るごとに衝撃の度合いが高まってゆく。
そして、このシステムの構図は、そのまんま私たちの抱える「変わらない社会」の構図でもあることに合点がゆく。
今、世界で進行している出来事は、単なる新自由主義や社会主義を超えたポスト資本主義の新しい枠組み、
「コーポラティズム(政治と企業の癒着主義)」に他ならないと著者はいう。
そんな癒着構造なんか今更、目新しくもないと高を括らない方がいい。
グローバリゼーションと技術革命によって、世界中の企業は国境を越えて拡大するようになった。
価格競争のなかで効率化が進み、株主、経営者、仕入れ先、生産者、販売先、労働力、特許、消費者、
税金対策用本社機能にいたるまで、あらゆるものが多国籍化されてゆく。
流動化した雇用が途上国の人件費を上げ、先進国の賃金は下降して南北格差が縮小。
その結果、無国籍化した顔のない1%とその他99%という二極化が、いま世界中に広がっているのだ。
巨大化して法の縛りが邪魔になった多国籍企業は、やがて効率化と拝金主義を公共に持ち込み、
国民の税金である公的予算を民間企業に移譲する新しい形態へと進化した。
ロビイスト集団がクライアントである食産複合体、医産複合体、軍産複合体、、刑産複合体(刑務所民営化によるタダ同然の労働力提供システム)
教産複合体、石油、メディア、金融などの業界代理として政府関係者に働きかけ、献金や天下りと引き換えに
企業寄りの法改正で「障害」を取り除いてゆく。
コーポラティズムの最大の特徴は、国民の主権が軍事力や暴力ではなく、
適切な形で政治と癒着した企業群によって、合法的に奪われることだ。
アメリカで、否、現在世界を覆う多国籍企業による国家を呑みこんだ寡占化は徹底している。
利潤追求のため、あらゆるジャンルを市場の原理に置き換え、
私たちの食、医療、教育や警察、消防の自治体サービスなどセーフィティネットを次々に効率が悪いと梯子を外してゆく。
(それが顕在化したのが、つい先日のデトロイト市の破産宣告。このままでは全米の自治体の9割が5年以内に破綻するといわれている)
それは既得権益を排除するという例の威勢のいい掛け声に乗って、規制緩和、民営化という手順を踏んで進められる。
それが最も徹底しているのが、金融資本主義の極北、アメリカ合衆国だ。
そしてその忠実な追従者である日本は、小泉政権以来の構造改革と称する1%の寡占企業に富が集中する収奪システムに向けて邁進している。
安部首相も2013年2月の所信表明演説で「世界で一番企業が活躍しやすい国を目指します」と明言している。
まず判りやすい農産複合体(アグリビジネス)による私たちの生きるための基本である食に対する支配構造を例に上げて説明しましょう。
このままTPP交渉に参加にすると、日本の農業と食の自給(地産地消)は完全に破綻します。
もうそれは完膚なきまでに。
アメリカ国内はもちろんカナダ、メキシコ、アルゼンチン、インドそして戦争が終結して復興の進むイラクのおける穀物メジャーによる支配の手口は、
最初に生産高を倍増させるという触れ込みの遺伝子組み換え種子とセットになった農薬を無料提供し、
在来種の種子を2度と使えなくさせた上で、遺伝子組み換え種子と農薬を永遠に使い続けるライセンス契約(知的財産権保護)を結ばされる。
それも国家の中枢を潤沢な資金による政治献金やロビー活動で巻き込み、二重三重にその国の農業と食物の自給を支配するシステムを築き上げる。
そんな理不尽なシステムと異議を申立てても、例えば穀物メジャー最大手のモンサントの名を冠した通称「モンサント保護法」という法律がある。
≫遺伝子組み換え作物で消費者の健康や環境に被害が出ても、
因果関係が証明されない限り、司法が種子の販売や植栽停止をさせることを不可とする≪
こういった科学的根拠がないと食の安全基準を規定するには不充分(例えばBSEなどの食肉感染症予防)とする考え方はWHOを始め国際基準になりつつある。
これって原発事故における放射線被ばくの因果関係を否定する言い分と、まったく同じ。
その他、食品添加物や遺伝子組み換え食品の表示義務がアメリカでは、なし崩しに消えていっています。
(こういった食の安全に対する検閲を、効率の悪い規制と捉え緩和を求めるのが企業の論理)
これは、そのまんま規制緩和を推し進める日本でも適応されそうです。
EUもずいぶん頑張っていますが、これも時間の問題でしょう。
このまま私たちは、なすすべもなく残り99%の貧困層としてゴミのように死んでゆくのでしょうか?
最後に少しだけ希望の萌芽を感じさせてくれる記述があります。
それは皆さんが本書の衝撃を体感した後に、どうぞ。
私には上手くこの本の衝撃を皆さんに伝えることができそうもない。それがとても残念です。
(株)貧困大国アメリカ (岩波新書) | |
堤 未果 | |
岩波書店 |
帰宅して一部、コーポラティズムに関する記述をすべて書き換えました。
(というか、ほとんど本文の引用ですが(汗))
この本の凄いところは、すべてを市場の原理に委ねるという世界を覆う経済システムが、
何をもたらしたかとういう具体例をシリアスに炙り出していることでしょう。
時代を覆うキーワードとしては理解していても、結局私たちは何も見ていなかったことを痛感しています。
食肉偽装事件などの一連の企業内不祥事に倫理観を求めても筋違いなのでしょう。
彼らは市場の原理に従い、効率化というコスト削減を極限まで進めて行った結果だったのだから。
それが現在は、あらゆる分野に及んでいます。
3・11以降も「変わらない社会の仕組み」の構図は、ここにあるようです。