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そろそろ笹百合が咲いている頃かな?
梅雨の晴れ間の貴重な一日、今日は皿ヶ嶺まで足を延ばしてみよう。
重信川の土手に出ると、東の空に積乱雲が湧き立っている。
にょきにょき空の高みに延び上がる雲の姿に、
「おーっおーっ」妙に気持ちが高ぶってくる。
ベダルを漕ぐ足に力が入り、
ぐぃぐぃ湧き立つ夏雲に向かって全力疾走(笑)
例によって出発時間が遅いので、照りつける正午前の陽射しの下、
川沿いのサイクリングロードを走り、上林小学校の長い登坂路へかかる。
あれ?思ったより苦しくない…
林道入り口まで走りきる。
ここでドリンク休憩して林道の九十九折へ。
ずいぶん雨が降ったのだろう…
幾筋もの流水が路面を伝う。
水の元まで植林の日蔭が、日盛りの光を遮ってくれる。
水の元の湧水を首から浴びる。
汗の噴き出る火照った身体が cool down 。
ペットボトルが、たちまち冷気で曇る山の湧水を、ゴクリ、ゴクリ。
剥き出しの腕や足にも冷水のシャワー。
「おーっ生き返る」
これが夏の幸せ(笑)
本当の僥倖は、その先の角を曲がったところに転がっていた。
ずーっと憧れていた月の女神、アルテミスとの出逢い。
一際美しい翡翠色の女神が、そこにいた。
日本で一番美しい蛾、オオミズアオ。
(学名はアクティスアス・アルテミス。日本語で月の女神という美しい名前を持つ)
まさか、こんな昼日中に出逢えるなんて。
慌てて自転車を止めて、こんなこともあろうかと持って来ていた
望遠レンズをカメラにセット。
どうか、どうか、飛び立たないで。
この天女が舞い降りたような邂逅よ、
スルリと掌からすり抜けないで。
月の女神は、賛美者を受け入れてくれた。
緑陰の木漏れ陽に、ゆらゆら揺れながら…
当初の目的であった笹百合は、まだ蕾。
後一週間くらいでしょうか?
帰路の河川敷には河原撫子(かわらなでしこ)が今を盛りに咲き誇っていました。
とても蛾とは思えない青の女神ですね
同じ撫子でもこんなに違う
misaはちいさなちいさな野原撫子に賞讃のエールを送りました
確実に着実に進んでますね
昨年の皿ヶ嶺の笹百合の頃を貼っておきます。
http://blog.goo.ne.jp/toshiaki1982/e/102a0ced4e7e3301e020be2bbdf38718
来週末辺りから咲き始めて、徐々にカルストや堂ヶ森へと咲き揃ってゆくのでしょうね。
オオミズアオとの出逢い。
本当に信じられないような僥倖でした。
misaさん、だから山へ行かないと何も始まらない(笑)
撫子の写真は、misaさんから送ってもらった画像の方が、ずっと好い風情です。
山野草は、その花が咲く場所の空気感が命。
私の写真は唯、たくさん咲いているだけ。
草叢の風情が表現されていません。
もちろんローアングルで背景を写し込めばいいという安易な手法ではありません。
山本七平の「空気の研究」を例にとって、
その場を支配する空気に対抗するには、熱を冷ますための「水を差す」ことの重要性を説いています。
今後、言論は益々萎縮して行くだろう。
過剰忖度(そんたく)によって、言論の自由が侵され続けるだろう。
しかし、私たちに出来ることは、常に自分を客体視し、
忖度する内面に敏感になることである。
そして他者による忖度に直面した時、その力に屈しないことである。
全体主義は大衆の熱狂によって蔓延する。
長いものに巻かれてはならない。
迎合してはならない。
問われているのは、戦時中に竹槍戦術が施行されているとき、
「それはB29には届かない」と言えるかどうかである。
いつの時代も醒めた人間の常識こそが、水を差す力となる。