眼の前に、しみのような黒い点が浮かび上がったのは一週間前だった。
やがて、それはかすれて滲んだような、かぼそい手足を持った。
それが、やたらぶんぶん飛び廻る。
つい見開いた瞳孔の先、数ミリ単位のところを、せわしなく飛び廻るのだから、たまらない。
右に左に斜め上に斜め下、目線で追うと、ふっと捉えた瞬間、もう消えて視線の隅っこへ移動している。
試しに瞼を閉じてみた。
微かに光を感じる瞼の裏に、残像のようにそれが張り付いていた。
まるで闇に息をひそめる蚊じゃないか。
医者に行くと、「飛蚊症」と告げられた。
網膜剥離とか色んなケースがあるようだが、私の場合は加齢のよるものと診断された。
目の硝子体が活性酸素による酸化で傷つく症状らしい。
若いと自然に治癒されるが加齢と共にに修復機能が衰えるようだ。
これは治らないので、諦めて虫と共に生活してゆくしかない。
なんとも目の前数ミリのところを、ぶんぶん飛ぶ廻る蚊と一緒に暮らすことになった。
はは…私は諦めが早い。
もう、この暮らし?に慣れてきた。
(放射能もね)
眼翳というセンシティヴな表現もあるようだ。
原因の多くは「活性酸素」で紫外線と加齢によるとありますね。
ランスケさんの一つ年下の私、明日はわが身です。で、対処法は、屋外ではサングラスの着用、室内ではパソコンとテレビ見過ぎない。
そして、バランスのとれた食事をとる。
と、あります。
諦めずに蚊のいなくなる季節まで・・頑張れ。
今日の日曜美術館は、「孤独 闇そして光へ~鉛筆木下晋~」でした。
木下晋は、荒川修作に母親を描いた作品を見せた時に「君は母親らしき人物を描いているが、何を表現したいんだ」言われ自分の幼児体験を、つまり家出を繰り返す母親との葛藤、貧困の極みの子ども時代を話しました。 すると、荒川は「芸術家として最高の環境だ」と言う訳です。自分が今まで負の財産だと思っていたことを逆転させたのです。
それから、母親を描く事により今まで憎しみだけの存在だったのに、俺を形成したのはこの母親なんだと。絵を通して、人間を知っていく、森羅万象の深遠な世界に行くきっかけを与えてくれた。・・・と語っています。
そして諏訪敦との対談で。
諏訪:木下さんの画面を目の前にして思うのは、思いの圧倒的な濃度ですね。黒いところをなんであれだけ盛るのかと。それは人間のしわを描写することよりも、心の闇の方に感心があるからだと思うです。紙の目って相当な力を加えないと潰れないですよね。それだけの事をさせるのは、個人に対する畏怖であり尊敬ですよね。易い共感ではない。僕たちに共通するのは、まさにこの点だとおもいます。
木下 :いろんな所をくぐってきた人の今の姿を描く。それは小林ハルさんもそうだし、桜井哲夫さんもそう。障害者や弱者を描くなんて気はみじんもないですよ。
この人達を「かわいそうだ」「目が見えない、光がないなんて気の毒」なんていう人がいるけど、どこがかわいそうなんだと。
我々のほうがよっぽど気の毒。あの人たちには
我々が見ているよりも明るい光がありますよ。
{月刊アートコレクター}より
今回は、ハンセン症病患者の桜井哲夫さんとの関わりの特集だったのですが、新ためて命の尊厳や過酷な運命の先や奥にある本当の人間の価値について、考えさせられました。
さあ、私も夏のグループ展に向けて作品を制作
しなければ・・・。
諏訪敦の再放送のときも感じましたが、作家の持つ透徹した眼には圧倒されます。
今日の鉛筆画の木下晋では、ハンセン病患者として隔離されて生涯を過ごした桜井哲夫でしたね。
あの鉛筆で塗り潰された黒い闇も壮絶でしたが、
指のない手を重ねた祈りの最期の作品に強く惹かれました。
塗り重ねた鉛筆のディテールをあえて消して淡い光を描き込み、
そこに宗教的な福音をもたらしてくれたように感じました。
番組の中で朗読された桜井さんの詩、「風倒木」も生命の繋がり「縁」の中に自分自身を投影する心に残る詩でした。
ブックマークに「とある原発の溶融貫通」を新たに張りました。
このブログの「未来の子供たちから、3・11の時の大人は何をしていたの?と言われないために」というコピーに強く共感しました。
全国放射線情報を掲載してからアクセス数が極端に下がりました。
見たくない現実から目を背けるのも結構ですが、どうか未来の子供たちに対して恥ずかしくない行動を取ってほしい。
このサイトにチェルノブイリの子供たちの画像があります。
これが5年から10年先の日本でも起こるかもしれないと思うと戦慄する。
先日、新聞の片隅に福島第一の作業員が6人死亡したという記事が小さくありました。
死因は白血病や心臓疾患なのに放射能による被曝でないと公式発表されました。