宮古市が8月20日まで「災害危険区域関する条例」についてパブリックコメントを募集している。津波が防潮堤を越えて市内に浸水した時の深さの程度によって住宅の建設規制をかけるという条例に対する意見を求めている。
(1)湾奥の浸水シミュレーションはまだ出来ていない
災害危険区域の具体的な指定はパブリックコメントが終わり、条例が施行されてから津波浸水シミュレーションに基づいて行う。──という非常に抽象的な段階での意見募集なのである。そういえば田老や宮古湾口地帯とは異なり湾奥の浸水シミュレーションは今までも見た事がないように思う。問題点が鮮明でなく不確実な段階でのパブリックコメントとは、つまり、住民同意のアリバイづくりなのである。
なにより明治三陸津波(田老では昭和三陸津波)を基準にした防潮堤計画を前提に、それとは全く別次元の3.11規模の津波を対象にした焦点ぼけのダブルスタンダードの条例では常識的にはパブリックコメントのしようがない。
※危険区域の浸水深がどの程度なのかシミュレーションはまだ発表されていない。当初のもくろみとは異なり宮古湾奥では想像を越えた数値になっているはずである。湾内に侵入した津波の勢いと水量はV字形湾の逓増現象に加えて、防潮堤で密閉されて水勢と水量はますます増大して湾奥に殺到する。10.4mの壁を破壊しないまでも越流して平坦部に浸入することは確実であろう。湾奥では浸水深2m、1mの条例の前提がそもそもおかしいのではなかろうか? 又、鍬ヶ崎や都心部ではすでに県土整備部シミュレーションにおいては浸水深0(ゼロ)地帯が大半であるとされているが、宮古湾密閉局面での湾奥からの戻り波、月山対岸からの反射波が計算されなければならないはずである。波と波が重複すると湾奥を越える浸水深があり得る。
(2)高台移転は「条例」とは無関係な政治的課題である
条例は宮古市ばかりではないであろう。平野復興大臣が被災地に来て高台移転の要件緩和を口にして山本宮古市長も「願ってもないこと」と喜んだ。しかし直後からこれに反対する霞ヶ関の官僚が動いたといわれる。官僚が新任国土交通大臣に直訴したのかどうかは分からないが要件緩和の雲行きは急に怪しくなってきた。緩和どころかかえって厳しくなってきたと言える。復興大臣の権限は吹っ飛んで、国の役人、県の役人、市の役人ラインで事が進んだように思われる。いま何でもかんでも高台移転は出来ないと、ガイドラインと言える条例を急ごしらえしたように思う。一種の踏み絵で、条例に従えなければ高台移転をしてもらう、という事でもあろうか? 高台移転と引き換えの条例という事であろうか? いずれにしても官僚的な言い訳の完成と言っていい。
このような大変な時こそ普代村の故和村元村長のような真っ当な首長の情熱がほしい。高台移転はガイドラインとも条例とも関係がないのです。危険区域とも、浸水深、建築基準とも関係がないのです。特に子どもやお年寄りにとっては、浸水しないとか、安全だとか言ってもこれでは何の慰めにもなりません。被災者は身をもって体験した津波の恐怖にまだ直面しているといえます。まず高台に市民を落着かせ生活の基盤をつくることが政治の第一歩だと思います。そうは思いませんか? 法や議論より先決するべき事柄なのです。
[関連記事] 普代村太田名部漁港の津波(2)
(1)湾奥の浸水シミュレーションはまだ出来ていない
災害危険区域の具体的な指定はパブリックコメントが終わり、条例が施行されてから津波浸水シミュレーションに基づいて行う。──という非常に抽象的な段階での意見募集なのである。そういえば田老や宮古湾口地帯とは異なり湾奥の浸水シミュレーションは今までも見た事がないように思う。問題点が鮮明でなく不確実な段階でのパブリックコメントとは、つまり、住民同意のアリバイづくりなのである。
なにより明治三陸津波(田老では昭和三陸津波)を基準にした防潮堤計画を前提に、それとは全く別次元の3.11規模の津波を対象にした焦点ぼけのダブルスタンダードの条例では常識的にはパブリックコメントのしようがない。
※危険区域の浸水深がどの程度なのかシミュレーションはまだ発表されていない。当初のもくろみとは異なり宮古湾奥では想像を越えた数値になっているはずである。湾内に侵入した津波の勢いと水量はV字形湾の逓増現象に加えて、防潮堤で密閉されて水勢と水量はますます増大して湾奥に殺到する。10.4mの壁を破壊しないまでも越流して平坦部に浸入することは確実であろう。湾奥では浸水深2m、1mの条例の前提がそもそもおかしいのではなかろうか? 又、鍬ヶ崎や都心部ではすでに県土整備部シミュレーションにおいては浸水深0(ゼロ)地帯が大半であるとされているが、宮古湾密閉局面での湾奥からの戻り波、月山対岸からの反射波が計算されなければならないはずである。波と波が重複すると湾奥を越える浸水深があり得る。
(2)高台移転は「条例」とは無関係な政治的課題である
条例は宮古市ばかりではないであろう。平野復興大臣が被災地に来て高台移転の要件緩和を口にして山本宮古市長も「願ってもないこと」と喜んだ。しかし直後からこれに反対する霞ヶ関の官僚が動いたといわれる。官僚が新任国土交通大臣に直訴したのかどうかは分からないが要件緩和の雲行きは急に怪しくなってきた。緩和どころかかえって厳しくなってきたと言える。復興大臣の権限は吹っ飛んで、国の役人、県の役人、市の役人ラインで事が進んだように思われる。いま何でもかんでも高台移転は出来ないと、ガイドラインと言える条例を急ごしらえしたように思う。一種の踏み絵で、条例に従えなければ高台移転をしてもらう、という事でもあろうか? 高台移転と引き換えの条例という事であろうか? いずれにしても官僚的な言い訳の完成と言っていい。
このような大変な時こそ普代村の故和村元村長のような真っ当な首長の情熱がほしい。高台移転はガイドラインとも条例とも関係がないのです。危険区域とも、浸水深、建築基準とも関係がないのです。特に子どもやお年寄りにとっては、浸水しないとか、安全だとか言ってもこれでは何の慰めにもなりません。被災者は身をもって体験した津波の恐怖にまだ直面しているといえます。まず高台に市民を落着かせ生活の基盤をつくることが政治の第一歩だと思います。そうは思いませんか? 法や議論より先決するべき事柄なのです。
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