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2011.6.1~。大津波、宮古市、鍬ヶ崎復興計画。陸中宮古への硬派のオマージュ。 藤田幸右(ふじたこうすけ) 管理人

あるべき巨大地震・津波対策(1) 第一章大転換 第1節 大転換

2024年12月11日 | 最大クラス津波

書籍風(マニアル風)形式で「あるべき巨大地震・津波対策」全五章 命のフレーム

 

 

第一章 大転換

 

第 1 節 そんなことはどうにでもなる!


生きていればさえ 手さぐりでもどうにかなる。

この国の災害支援は官制、民間、ボランティアを問わずほぼ完璧に動き出す。
地域、企業、個人、大小を問わない。常にアクティブと言える。
もちろん記事のような要素は大事なことだが

 


日本経済新聞(2024.12.5)

 

文字拡大(クリック)

 

記事のように、政府の問題意識は本質的反省という集中力をスルーして、常にバラバラ、的外れである。悪く言えば脈絡のない思いつきに見える。「プッシュ型」体制整備を、わたしはどうのこうのというつもりはない。しかしこのブログの前ページに書いたとおりの地震・津波災害対策の大綱大転換からは問題意識が大幅にずれている。言って良ければ、いま、記事の内容の「備蓄」などは枝葉末節の事柄である

 

 

東日本大震災由来の大転換フレームとは?!

前ページより

 

現時点で

まず東日本大震災の大反省が不可欠(●(A))

日向灘地震で南海トラフの予兆はどうだったか?(●(B))

と書いた。

 

次いで

避難実行の Headquarter は地方自治体(●基本ポイント1)

地区住民一人一人の自主的避難計画が必須(●基本ポイント2)

国の役割はこの避難全体のマネジメントとサポート(●基本ポイント3)

とした。

 

●(A)〜●3 のフレームのあり様はもとよりこだわるものではないが、最大クラス地震の反省が東日本での2万人にせまる死者だということは再々確認する必要がある。 今度どんな自然災害が襲ってこようとも、こんなことはあってはならない。そのことがわたしのフレームの要点である。つまり、いかに避難するか、地区で、地域で、いかに犠牲者を出さずに避難出来るか。

住民が最終的に全員生き残るにはいかにするべきか、である。東日本大震災ではこのことでは自然に、人に、敗北したと言える。今につづいている  

 

そのことの認識が政府の地震対策の官僚機構には依然として欠けている、と思われるのである。あるいは希薄。統一が取れていない。バラバラ、的外れ、思い付き、義務的公務でしかない。総司令の総理大臣の役割りとはなにか、とも言えるのではないのか?

 

わたしはフレームの個々の分析、統合、連携のあり方を進める。
大事なことは、国のこのフレーム全体(いのち)の扱いと言える。危惧している 

 

 

第一章 第2節 「何度言ったわかるんだ」 につづく

まとめと「目次」のページ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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