宮古on Web「宮古伝言板」後のコーケやんブログ

2011.6.1~。大津波、宮古市、鍬ヶ崎復興計画。陸中宮古への硬派のオマージュ。 藤田幸右(ふじたこうすけ) 管理人

鍬ケ崎地区の復興町作りの案説明

2011年10月08日 | どうなる復興計画


こんなに早く鍬ヶ崎地区の復興計画を見せられると思ってもいなかった。計画は先月9月29日に鍬ヶ崎小学校で集合可能な住民に説明された、と鍬ヶ崎の青年ブロガーへいうんさんが伝えていた。(「漁師の徒然なるブログ」10月3日) 思いがけずこうしてふるさとの計画をブログにのせてもらって手段のないわれわれとすれば感謝の他はない。
かれとしては、計画の説明を詳しく報じることで、自分で書いた言葉以上に、より強い異議申し立てを行っているようにわたしには思えた。

内容は思った通り、素人が、政府や県庁や宮古市の顔色をうかがいながら、鍬ヶ崎の土地のかさ上げ、防潮堤、高所移転などを机上で寄せ集めたようなものであった、パターン図四案にまとめられている。素人が、と書いたのは、この案が地元被災者の立場や事情を取材したりして汲み取ったものでなく、政府や県庁や市の上の意向をただ現地に当てはめてつくった、作り物の計画であるように思ったからである。今度の津波が越えてきた蛸の浜の坂を依然として避難場所にしていたり、高所移転候補地を一カ所の狭い(選択肢が狭い)範囲に限定したり、将来のそれこそ漁業基地の問題や、水揚げ市場の計画などソフト面や半ソフト面の復興にふれず、津波前の鍬ヶ崎の街並みのイメージを前提にした復<旧>案であった。これでは納得する人は少ないのでは?

具体的にはパターン四案とも、浸水地に、とにかく可住地を残したいという思いで、どれかのパターンを選んでもらおうという強い意向がはたらいているようにみえるが、根本的に、第二~第四パターンとも、そのような作り物で鍬ヶ崎が津波から安心して復興できるとは思えない。今回の津波を経験した鍬ヶ崎の被災者の共通の思いではないかと思う。無理に選択を迫った場合には大半の人が鍬ヶ崎から出て行く、鍬ヶ崎を捨てる、という方向に進むのではないだろうか?事態はそこまで進むのだという本当の行政のプロの認識がいま必要です。生半可な土地のかさ上げや防潮堤、ありきたりな復旧計画ではとても圧倒的力のあの海の猛威に対抗できるとは思えません。


 
敢えて選ぶとすれば被災状態そのままの第一のパターンではないでしょうか?


(1)青い色で示された現状の非可住地域から地区ごと(地区ぐずら)全部移転する案とします。

移転先候補地を、同じ町内のケチな浄土ヶ浜道路のあたりに限定せず、住民の希望で鍬ヶ崎地区の後背地一帯から地区を越えて選択し、大きく開発することに官民一体で全力を注ぎます。事前に住民からアンケートで、また有志による探索行動隊を作って「ここなら新らしい鍬ヶ崎にふさわしい」候補地選びを徹底します。(ふるさとに代わる土地探しですからこの事前の自主行動が集団移転の成功の柱となります。何年かかってもこれはやり遂げなければならない事だと思います)。土地が決まったら宅地造成に入ります。宅地造成も住民主体で行いますが、土地造成にかかる経費はもちろん国、県、市の復興予算でやってもらわなくてはなりません。被災土地は国、自治体による買い上げが基本ですが、新しい造成土地は同面積交換とします。(このあたりの基本線が決まれば事態は一気に進む気がしますが話し合いはあくまでも前向きに有利な原則で進める事が大事だと思います。)

なおかつ、住宅建設費を含め移転経費補助を厚くすることを一時も忘れてはなりません。国も県も復興事業に上限なしと言っているのではありませんか?額面通りではないとしても、国を挙げて復興に取り組むというのが国是です。地域をあげて官民で陳情を繰り返す意気込みが必要だと思います。住むべき後がないのですから…

そこから新生鍬ヶ崎地区の本物の復興計画が始まるのではないでしょうか?その時点から住民が老若男女集まっていろいろ新しい街づくりを議論すればよいと思います。移転候補地のメドが立って初めて復興計画が始まるのではないでしょうか?メドが立たなければ何も始まりません。いま時点の他の諸アンケートや意向調査はナンセンスなのです。よい場所ならアンケートに移転希望と書く人が多くなると思います。

旧鍬ヶ崎の面積が再現できる場所としては、へいうんさんがいうようにこれから田老地区、山田地区からの転入者もあると思います。宮園団地、中里団地、日の出町、佐原団地、崎鍬ヶ崎から、更に後背地の広いところががいいと思います。

注意)これらのことを住民の側から提言し実行していくためには行政割りの住民活動と平行して、住民全員の意志の集約が必要だと思われます。現在のばらけた状態では困難ですが、将来のまとまりを期して、いまのうちからなんらかの自治活動が必要になると思われます。前の地区割り自治会を母胎にするかなど、また漁業や港湾、公務などの職業集団枠など、そして非被災者、非居住者、非鍬ヶ崎人など、オール鍬ヶ崎の自治体活動が欲しいところです。どこからか火の手を上げていってほしいものです。

 
(2)居住地の高所移転計画と平行して、旧鍬ヶ崎地区も、漁業基地や番屋、加工工場、貨客船の寄港港、漁船の水揚げ港、資材供給基地、リクリエーション施設、工場や、公共施設として大きく再生すると思います。そのビジョン作りこそ復興計画と呼ぶべきものなのです。

無意味な防潮堤は不要です。1)龍神防波堤、2)出崎埠頭、3)赤い灯台のある鍬ヶ崎防波堤、4)鍬ヶ崎港ぐるりの岸壁など既存実用施設を、相互に連携させ、最小限の高さで強化充実させれば、それでもって高波、高潮は完全に防ぐことができ、鍬ヶ崎港の信用は一段と高まります。鍬ヶ崎港を取り巻く工場など企業地帯,公共地帯も安心です。

大津波後、地盤沈下のため大潮や低気圧のつど鍬ヶ崎ぐるりの岸壁や道路が水をかぶっています。それは波のせいや、地盤沈下のせいではなく、実は、その土地がもともと埋め立て地だったからです。(くわしくは後ほど書きますが)わたしは鍬ヶ崎ぐるりの岸壁をこの機会に大きく陸の方に下げる事を提案します。その方が地盤が締まり、津波に対しても有効な護岸工事ができるのです。

津波については、上記港湾施設の連携で津波のエネルギーの力を半分程度にそぎ、今回程度の浸水規模を許容することとします。また、地区の津波浸水を明確にして災害避難のハード面、ソフト面を一層充実させ、地区で働く職業人、事務員、作業員、外部からのビジネスマン、観光客は日中は常時避難訓練体制の中にいるようにします。

自由世界ですから個人住宅建設の意志を制限できませんが、津波浸水地帯ですから、建物の基準、避難行動可能な青壮年に限るなどの条件はあると思います。

津波に対しては高さを稼いだことにはならない土地のかさ上げや検証されていない無意味な防潮堤は不要です。注意すべきは検証されていない防潮堤でも、つくれば、必ず、人が戻って住み始めます。そうすれば田老の二の舞いになると思います。

コメント (3)
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