イタリアの歴史を研究し書き進めている塩野七生氏(しおの ななみ、1937年7月7日 ~ )のお話を文芸春秋(2011 6月号)から引用したと宮古市在住の佐々木徳氏が自分のブログに引用している。塩野氏、佐々木氏から学生は探究心の若々しさに学んでほしい。塩野七生氏のアーチ型哲学を思って佐々木氏のブログをそのままここに引用した。
第2講 自然にしたがってきたローマの歴史
(以下に、佐々木氏ブログそのままの転載。わずかに見出しを大きくしたり行間を広げた程度の修正)
☆
「押さえる」よりも「浪をいなす」-大津波
自然の地形が、ソフトランディングしてくれる。
「押さえる」よりも「逃がす」-大津波
★ 塩野七生 (作家・在イタリア)
文藝春秋・2011 6月号
日本人へ・第97回 「ぶつかるよりも、逃がしてはいかが」
★ 市への「復興計画」提言
これがため上記塩野七生氏の論文を引用する。
日の丸を外から眺める塩野氏の論文は、
歴史認識をふまえた卓見なるゆえ、
あえて全文を借用する。
★ ついで北の漁師の一言
☆
○ 川のある町は津波の被害が少ない-川筋どおりに津波をいなす。
- 塩野七生氏は、
機会あって一夜構造設計が専門の中澤昭伸氏に、問いただしてみた。
そうしたら、可能だというのだ。川のある町は津波の被害が少なかった
という。
- そして、中澤氏はこうもいった。
津波が川を逆流して、今回の場合は五、六キロの上流まで達している。
だが、三陸地方は、海から高台までの距離が短い。
それで、"津波通り"を通す場合でも、
直線で通せる距離は遠し、それが不可能な地点になると、そこには
津波を逃がすための池を造るひつようがあるだろう、という。
もちろんこの池も、普段は一段低いところにある野球場として
使えるのだ。
☆
◎ 「押さえる」よりも「逃がす」ことを考えてはどうであろうか。
○ 塩野七生氏はいう
- 人間に例えれば、誕生から死までになる民族の興亡の物語は、
歴史上では通史と呼ぶ。この通史を、私は今までに二度書いた。
古代ローマと、中世のヴェネツィアである。
- なぜ、この二つを取りあげる気になったかの理由は、
なぜ彼らだけが、一千年以上もの長きにわたって繁栄できたのか、
であったのだから。
○ 二つとも書き終えた今は断言できる。
- 第一は、
彼らが持っていた資質他の民族よりも優れていたわけでもなかったのだが、
その自分たちの資質を十二分に活用する才能では優れていたこと。
- 第二は、
ごくまれにしか、つまりよほどのことがないかぎりは、
玉と砕けようと正面から激突するやり方には挑戦しなかったこと。
◎ アーチはローマ人の発明-アーチを外から見たいと思えば、
「コロッセウム」見ればよい
- アーチはローマ人の発明だが、あの形にすると上からの力を
逃がすことが可能になる。
大きなドームで目立つ「パンテオン」も、あれをささえながらも
上からの圧力を、合計八個のアーチによって逃がすことによって、
崩壊をまぬがれてきたのである。
- パンテオンを支える八個のアーチは、壁に埋まっていて外からは
見えない。この働きをしているアーチを外から見たいと思えば、
コロッセウムを見ればよい。
三階にもわたるアーチの列は、美観よりも圧力を逃がすために
考え出された。
◎ 古代ローマの建築物のすべては、圧力を左右に逃がす造り
- パンテオンやコロッセウムだけではない。
古代ローマの建築物のすべては、上からの圧力に対して
強力な壁で立ち向かうのではなく、圧力を左右に逃がす造りに
なっている。だからこそ、二千年後にもまだ立っているのだ。
◎ ヴェネツィアは、「ラグーナ」と呼ばれる潟の上に、
人工的に造られた都市-島と島の間を水に流れてもらう
- ヴネツィアは、ラグーナ呼ばれる潟の上に、人工的に造られた
都市である。本土から流れ込む二本の川と海からの朝夕の潮の
流れを放置すれば、一日も過ぎないうちに水びたしになる。
それで、一千五百年昔のヴェネツィア人は考えた。
- 潟の上に顔を出している島という島を埋め立てるのではなく、
島と島の間はそのままで残し、そこを水に流れてもらうように
したのである。
◎ 「海の都」-ヴネツィアの運河
- こうして、今われわれが見る、何百という島を
これまた何百という橋が結ぶ、海の都ができたのだった。
- ヴェネツィアの運河は、舟を通すためではない。
水を通すためなのだ。
- 近年このヴェネツィアも、河川の水量が増す冬期ともなると
しばしば水びたしになる。あれは島と島との間を
埋めたててしまったからで、もしも昔のままであったら、
絶対に起こらなかった現象だ。
◎ スーパー堤防よりも津波が通る運河
- 日本人も、耐震技術となると、力を逃がすという方向に進んでいる。
耐津波でも、その可能性を検討してはどうだろう。
- スーパー堤防を延々と築くよりも、津波が押し寄せてきたときには、
それにお通りいただく運河を通すことによって。
- もちろんその運河は、普段は自動車道として活用する。
◎ 喜んで住む町に
- いつ来るかわからない津波を避けて高台に住み、
海の近くは無人の地にしておくのでは、安全であっても
喜んで住む町にはならない。被災地は再興しなければならない。
しかも、今までと同じに漁港として。
◎ 津波を逃がす町造り
- ならば、津波に立ち向かうのではなく、津波を逃がす町造りに
変えてはどうか。高台から海辺に向かって、町の大きさを考慮
したうえで運河兼道路を何本か敷設する。
- 住居は、その"津波通り"から一段高く整地した地帯に配置する。
和やかな漁村風景ではなくなるだろう。
- だが、子供たちが成人した後も居つく気になる町としてならば、
再興できるのではないか。
☆
★ 北の漁師から提言
・ 市からの「案」として、二三見過ごしのできないものがある。
◎ 「閉伊川河口の水門」
上記論文のごとくソフトランディングにならない。
川が津波をいなしてくれる、また浪の反作用も考えなければならない。
川であるから毎年の流下する土砂の堆積も考慮しなければ金食い虫となる。
船の係留場所はどうするか。
・ 既水扉門については取っ払えという声もなきにしもあらず。
復興集会の意見聴取において、
私は質したのですが案ということで退けられた。
ここが問題-覆水盆に返らず-たとえあり。
・ 三陸沿岸は今までの数知れぬ「大時化」の戦訓があるのに、
部署のグレードが違えばこのありさま。
「砂浜が浪を吸う」と。
コストパフォーマンスはいうまでもなく自明の理です。
◎「市当局は部隊編成をして速やかにリアルタイム警報哨所設営をなせ」
・ 屋上から写真を撮って満足しているようではなにをかをいわんや。
気象庁発令を待つことなく現場状況が大事だ。
女子職員も炊き出し班として志願するシステムもまた肝要だ。
・ 第二哨所は「漁協本部ビル」となし、
早い段階で自衛隊の通信隊の協力を頼む。
全波無線機を持っていると思う。
◎ソフトギア-避難訓練
・ 阪神大震災の一年後の訓練のてつをふまないこと。
なぜか失敗したらしい-知事をして「またあのときと同じじゃないか」と、
言わしめた。
H23 2011-11-14 1540
まぐろぐ
投稿 12-24 1540
未だ余震収まらず 於 仮設長屋
おわり
──────
ブログ<まぐろぐseesaaブログ>2011.12.24