無性に寂しいことがある。過去を思い出したくないがいやでも浮かび上がる。
妻子と両親を思い出す時は匕首で胸を抉られる後悔、悲哀の感情に打ちひしがれる。何故もうすこし思いやり深くできなかったのだろうか?
仕事を思い出す時は、『生きなければならない、妻に生活費を渡さなければならない』との一途な思いからしでかした恥ずかしい行いに慚愧やるかたない。
そのために動いた事を思い出すと、『何と危ない橋を渡ったことか』と恐怖で二度と思い出したくない。
そしてそのような時、決まって浮かんで来るのが4歳の童子の時、台北から引き揚げてわずかな期間住んだところで遊び友達もなくどこかの小さい流れに母の針箱から持って来た木綿糸を垂らして魚釣りの真似事をしていたあの晩夏の午後。
その童子に堪らない哀惜を感じる。『何用あってこの世に生を受け、その割には思いもしない方向に走り出して転び、生きた、そして何も成し遂げなかった』
1995年、単身赴任に出る為に命の次に大事だった空冷FLAT4を手放した。『次の上りのヘヤピン、あの崖の蔭から何が出て来るか?』とひやひやドキドキしながらダブルクラッチで駆け上がるスリル。
先月、故郷の星、プレアデスを見る為に買った天体望遠鏡二台をさる処に寄贈した。次はリュート?・・・こうして夢を、叶えられぬままに捨てながら。