夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

おかしいな、と思う事いくつか

2020年10月22日 22時31分46秒 | 日記
軍事パレードを見て『オメデタイ遊びだな』と言う気がする。昔はそうじゃなかった、『うわあ、カッコイイ』と思った。
今迄大事にしていた物や事が何だか【どうでもいい】感じがし出した、オカシイのはそれは台風10号が過ぎてからだ、台風が吹きとばしてしまった感じ。
安倍政権がなんだか遠い昔の事のように思える。同時に【もう終わった人】に思える政治家たちが・・。もう安倍総理の再登場は考えられない、もう完全に次世代、新世代に移行してしまった。
台風9号10号が日本の何かを持ち去ったような感じがする。あれを境にして日本はまだ表面化しないが大きく変質したんじゃないかな?
コメンテーターとやらが色々吹聴するようだが何だか非常に空しい悪あがきに思える。断末魔?!
それはお隣さんも、ご近所さんも・・・。

何だか世界が、そうだ、蛹の中で組織が一旦溶解して全く異次元のものに組替わるように人類世界も異質になってしまった感じがする、今はまだそれがカタチを現わしていないが・・。
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また栄枯盛衰

2020年10月22日 18時34分42秒 | 日記
一昨日、街を(町かも・・・昔ある人が言った、『函館のマチは【街】、長崎のマチは【町】』・・・歩いて、今日また同じ通りを歩いた。印象を一言で言う事が出来る、閃いたのだ。40年昔は【大見得切って気取り、精一杯の背伸び】、今は【気取りは捨てた、実を取ろう】だ。その分、日本人は生長し、大人になったのだ。意識が変わったのだ。祝着!
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難破船貿易

2020年10月22日 10時20分20秒 | 日記
中国が【明】の末期、国が乱れたのでその高官の一人は難を逃れて琉球に来て居た由。ちょうどそこに中国との交易を欲した薩摩藩が明の皇帝にこの役人を通詞として雇いたいと申し出て許可、その人は薩摩人となって日本風の苗字を名のり薩摩藩の大商人となった。
高校時代の親友にその七代目が居た。舌を巻く頭脳の明晰さ、敵わなかった。後年、彼に『あの当時は鎖国であって外国との貿易はご法度だったんじゃないか?』と聞いたことがある。彼は素晴らしい答えをした・・『難破船貿易と言って、難破した船を救助した、この財物はその船に乗っていたものです』と言う言い訳が通じたらしい。
幕府が黙認したのも建前はタテマエ、実利はまた別の世界のハナシとしたのだろう。極めて日本的な方式だが、私はこれぞ日本人の建前は精神論、でも実利はしっかり握る、タテマエ+ホンネ性癖だろうと思う。
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奄美と一文字姓、島唄、田中一村・・・

2020年10月22日 09時53分47秒 | 日記
鹿児島には一文字姓の人が他県より多い気がする。
高、祝、篤、・・・聞くところによると昔、島津藩が奄美を領有してそこから砂糖を得る為に選んだ庄屋階級の人々らしい。【得る】と言えばカッコイイが実質は【収奪】ではなかったろうか。
薩摩藩には自慢できるような文化は、私個人の見聞では無いと思うが、奄美には素晴らしい文化があった、残っている。その第一と思うのが【島唄】である。藤田 晶さんと仰る女性が三線を弾きながら歌うそれは遥か故郷の台北に誘われるようだ。奄美の三線も琉球とは撥が少し違う、細くて長い、そのせいか音も少し、嫋々としている。聴いてみたまえ、『ああ、波間に揺れる南の島、芭蕉、アダン、ソテツ、ガジュマル、・・・』
これを聴いたあと薩摩藩の二才踊りなど見ると泣きたくなる。『そんなに戦(イクサ)が好きか?寝ても覚めても徳川憎しか?』
琵琶と聞けば楽琵琶、盲僧琵琶、筑前琵琶、薩摩琵琶とあるようだが薩摩琵琶なんて、・・・曽我兄弟の仇討などの語りの伴奏らしいが祖父がその音を模して『とっちゃ投げ 取っちゃ投げ、イッヒッヒ・・・』と・・。

そう言えば、田中一村と言う画家、故郷、千葉の家を売り、一人奄美にやって来て芭蕉布の織子で生計を立てながら素晴らしい絵を描いた。最後は心臓発作で亡くなったらしい。・・・こういう人生に憧れる。
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