自分のイメージの中ではここはもう少し音が低い、このギターは何だか上ずった感じでキモチが悪い、と思う事がある。かと言って一度下げて下のフレットではもっとおかしい。
昔、高名な声楽家の歌を聴いたことがあったが何となく落ち着かなかった、【音程が少し、ほんのわずかなに上ずっているんじゃないか?】と感じたのだが、逆に【正確な音程】が自分の感性に合わないのかもしれないと思った。
ギターは平均律12音階でフレット位置を決めているから自然な感覚には少し合わないのかもしれない。でも、ドイツのギターとスペインのギターを持ち換えて弾いて見るとこの傾向はドイツのギターに強い気がする。
キッチリ正確には、もしかしたらさほどに価値がないのかもしれない。スペインのギターはお世辞にも仕上げが上等とは言い難い・・・が、【歌う、喋る】のが上手いような気がする、欲目かな?ドラ声でところどころすっ飛ばしている気配があるが全体として陶酔させるようなところがある。ある記事によればわざと手を抜いているところがあるらしい。
ヤマハはスペインに学んだらしい。巨匠を招いたり、出向いたりしてそのウンチクを教えて貰ったらしい。だが、ここで見るだけでも明らかに違うところがある。ヤマハは多分そこに気がついて居ないしスペイン人もそこまでの蘊蓄に自ら気がついていないかもしれない。
正確だとか正しいだとかにどれ程の価値があるのだろうか? 私はそんなものにあまり価値を見出さない。現代は正確、正義神経症を患っているんじゃなかろうか? 我が故郷、薩摩の国では正確、正義神経症の傾向のある人を【聖人】と言ってヒソヒソ、イヒヒ・・・なんて・・・。その一方で、【テゲテゲ】(大概、大概)を尊重する。テゲテゲな家庭から引き籠もりやニートは出て来ない。人生にも性格にも、機械にも、総ての物事に【ガタ】は必要なのである。
おそらくギターを分解してみてもスペインギターとドイツギター、日本ギターの違いは分からないだろう。最終的には造った人の性格や民族性のようなものが反映されるのだろう。