夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

表音文字と表意文字の世界の違い

2020年12月08日 09時44分04秒 | 日記
例えば1ページ分の英文は全部読まなければ何を書いてあるか分からない。
それは論理脳を介して解釈される。
しかし1ぺージ分の和文は【視覚的に直に、瞬時に】解釈される。論理脳を介せずに無意識領域に入って来る。

随って思うに、耶蘇教が表音文字の世界で集大成されたその欠陥が【あらゆる物事を言語化】する、且つその所産としての【偽善、欺瞞】、言論によって黒をも白に出来ると言うバカらしさを産んだと思う。
一方、仏教は表意文字の世界で集大成された。昔、中国の修行僧が茶店の婆さんに『・・・寺はどう行けばいいですか?』と聞いたら婆さんは『莫直去』、つまり真っ直ぐ行け、と答えた。しかし見ると道は曲がりくねっている。修行僧は逡巡した。それを見た婆さんは『何じゃそのよたよたした有様は』と笑った。
しかしこれを読むあなたは『ははあ、こういうことを言ってるな』と薄々分るはずである。そしてそれは正しい、正しいが言語化出来ない。直に腑に落ちるのだ。

言語化する、出来る、と言う事は欺瞞に過ぎない。

2020年12月08日 09時33分43秒 | 日記
【平和の大切さ】とか【命の大切さ】とか【交流する】と言う言葉が大嫌いである。偽善と欺瞞でしかない。
言語化すると言う事は前頭葉論理思考の所産であって内在無意識の世界には属さない。
人は本当に感動、心臓を掴まれた時には何も言えない。こんな話がある・・・昔ある高徳の坊さんが、不埒者、ドラ息子の罵詈雑言を聴いて不覚にも涙を落してしまった。それを見たその若者、一瞬で回心した。内在無意識とはそう言うものである。百万言が動かせないものを動かす。
現代は軽々しく言語化してあらゆる深刻な物事をキレイごとで糊塗している。
耶蘇教文明の悪弊だね。


非礼

2020年12月08日 09時19分40秒 | 日記
【神】にしか出来ない事を声高に叫ぶ・・・これは非礼、不信仰である。
ここで言う神とは聖書に『私は【実在】である』と表現された神のことである。
神にしか出来ない事とは【核廃絶】と言うことであり、人類に【欲】と言うものがある限り不可能な事柄である。
出来もしないスローガンを声高に叫んでそれが己の善意の表明などと錯覚している不信仰や世界の不都合を神のせいにする冒涜が世界に蔓延している。
例えば
かくて人々烈しき熱に燒かれて、此等の苦難を掌どる權威を有たちまふ神の名を涜し、かつ悔改めずして神に榮光を歸せざりき。
第五の者その鉢を獸の座位の上に傾けたれば、獸の國暗くなり、その國人痛によりて己の舌を齧み、その痛と腫物とによりて天の神を涜し、かつ己が行爲を悔改めざりき。
(黙示録16章)