西郷さんに私淑する若者たちが集まった【私学校】。それに西郷さんがいちいち指導だの口添えだのをしたと言う話は聞いた事がない。あまり真剣に調べていないから自信がないが多分自由にさせておいたのだろう。
そこが明治新政府の方針に異議を唱えて暴発した。西郷さんはそれを留めなかったが内心では若気の至り、深謀遠慮が足りなかったとは思っただろう。だから、そして、それでも『もうこうなっては仕方がなか、私の命をおはんたちに上げよう』と西南の役が始まった。
西郷さんが本気で政府を倒そうと思ったか否かは疑問だ。本気なら船で東京を目指したのではないか?それを江戸幕府が薩摩を恐れて築いた熊本城、小倉城、姫路城などを落としながら陸路北上とは如何に何でも拙劣な戦術ではないか。
思うに西郷さんは薩摩兵児の【純情】に殉じたのだ。動き始めた【時代】を覆すことなど出来ない事など維新の大業を成し遂げた経験から解っていたはずだ。
命も要らず名も要らず・・との無欲で始末におえぬ人でなければ国家の大事は成し遂げられない、との思想は全世界の全時代に対する政(まつりごと)に携わる人々への警鐘にして叱責であろう。
しかし、私思う・・・【もうこうなっては仕方がなか、私の命をおはんたちに上げよう】の心構えこそは【息子を持つ父親の覚悟】でなければならない。元々、人の子に親となることは救いようもない【罪作り】なのである。その罪の贖いとして子供、とりわけ男の子に対しては【地獄に落ちるのか、俺は懸命にやったがやはり落ち度があったのだ、だから一緒に行ってやろう】と言って実行できなければならない。
愛情乞食と言う悲しい言葉がある。『親父は俺の事を俺の将来を本気で気遣っているのだろうか?』・・有体に言えば『本気で愛しているんだろうか?』との問いを生き方や行動で確認したい息子は多い、哀しくも切ない心情だ。私もまた、暴走族やヒキコモリにはならなかったがやはりそれだった。そしてそれが裏切られた、『ああ、親父は何にも解っていないんだ、自分の関心ごとが第一なんだ、ピーターパンなんだ!』と思った時に親子の縁は切れる。
芥川龍之介の杜子春を読むとこの辺りの機微が非常に解りやすく書いてある。
顕在意識、理性領域の問題は論理的にほどいてゆかなければ解けない、時間がかかる。しかし無意識領域の葛藤は一瞬にして氷解する。長く引き籠って将来に絶望した若者が灯油をかぶって死のうとした。咄嗟にその父親が『おまえだけ死なせはしない、俺も一緒に行ってやる』と同じく灯油を被って火を点けようとした瞬間、息子が止めてくれ!と叫んで長かった引きこもりが一瞬にして終わった、と言う話をかなり以前読んだことがある。
世間は他人の集まり、このような親子の繋がりはない。また、西郷さんのような人は一万年に一人ぐらいだろうか?
『責任は俺がとってやる、思う通りにやれ!』と新入社員、部下に言える上司になりたかった。言えなかった、しかし実質的には部下の防壁として仕事はしたと思って居る。失うのは悪く行っても役職だから出来ないことはない。・・それさえもする覚悟のない人々が多いが・・・!
だが、子供達に対しては懸けるのは【命】である。それが判っていないなら子供を持つべきではない。言い過ぎかな・・?