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夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

天啓宗教

2017年04月15日 00時12分51秒 | 日記

 キリスト教とかイスラム教を天啓宗教と言う。唯一絶対の神なる存在が居て人間に色々戒律と言うものを与えて守らせる。・・・ああしちゃいかん、こうしちゃいかん、ああせよ、こうせよ、と、天とか称するところから四六時中喋る、煩いねえ、いちいち・・。

 そんなに人間どもが面倒なものならその全能とやらで一網打尽に始末してスッキリ大掃除をすればいいじゃないか。

 ところがその大掃除、起こってない。・・・とゆーことは、だ、つまりそういう宗教ってのは結局【人間の言い伝え】でしかないのさ

  こうまで書くと神さんが可哀想だから神さんの代わりに代弁しておこう。ブタ食っちゃいかん、と言うのはあれにはカギムシなる気味悪い寄生虫のタマゴがある可能性が大きい、そいつに罹患すると人生破滅ってこともあり得る、だから食ってはいかんよ、との親心なのだ。酒飲むなも、タバコで人生が破滅するいことはないが酒で破滅することは大いにあり得る、だったら飲まん方が安全だ、だからいっそのこと『飲むな』にしておけば『他の奴らは飲んでるのに俺だけ飲んではいかんとは理不尽な!』と言えなくなる。よーし、そんならこれを戒律にしておけば馬鹿どもを善導しやすいじゃないか、と言うわけであろう。

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イスラム教徒の観光訪日

2017年04月14日 23時44分18秒 | 日記

 先月末に寺参りに行った。ほの暗い燈明の下で読経を聴いて香を焚き、鐘楼を眺めながら砂利を踏んで住職に暇を告げる。少し肌寒い早春の大気、菜の花がもうそここに咲いて、ああ・・そろそろ春になる、何度目の春か?もはや母の面影も記憶が薄れつつある、でも大好きだった焼き物の町の里山近くについの住処を得られてよかったね、と心の中で呟きながら帰途についた。

 しかし暫く行くと『何じゃこりゃ!?』色黒の女二人、原色の派手な模様の入った衣装を着て頭にはこれまたヘンチクリンなスカーフのようなものを被って自転車で走る。『菜の花畑に入日薄れ、見渡す山の端霞深し』の情緒溢れる田舎道に全く以てそぐわない、そういった風情を蹴散らして走る。ガチャーン!と叩き落とされる感じだ。

 そーか、近くの工場に出稼ぎに来ているインドネシア辺りのイスラム教徒の若い女たちだな!と気が着いた。ジンマシンが出そうになった。あのヒジャブだとかブルカだとか言うの、大嫌い。尻を天に向けて振り立てるあのお祈りも嫌い、臭いんじゃやないか?汚ならしい、ケガラワシイ。そんなものを客人となって訪問する国、働かせてもらう国で堂々と、遠慮会釈もなく押し通す厚かましサ、無神経さ、独善、大嫌いだ。

 ユーチューブを見ると日本人は宗教差別をしないからイイ、とイスラムの女が言っているようだが『しょーもないな!』と思いながら争い事を好まない日本人特有の辛抱で黙っているのに気がつかないみたいだな。さても繊細な神経のカケラもないか。

 日本人は極限まで堪えるよ。しかしキレたら怖いぞ!!他所の国に来て勝手な注文つけるな!少しは遠慮と言うものを勉強してから来るならフツーの格好して来い、出されたものは黙って食え!それが礼儀と言うものだ。

 

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海外の反応とやら

2017年04月14日 08時44分06秒 | 日記

YouTubeで外国からの観光客が日本各地を巡っての動画や感想を述べている。褒められたり羨ましがられたりするのは悪い気分ではないがいくらか疑問がある。

1.そんなにいいと思うなら早く自国に戻って先ずは自分の身の周りからやって、その日本が自分達より優れていると思う何かを自国に植えようと思わないのか?

2.どういう心の動きか知らないが日本人が最も大切に思い、決して粗略には思わない神社仏閣に何やらキタナラシイ液体で穢す、汚す行為を卑賎の業と思わないのか?自分たちに品位の自覚や誇りはないのか?

3.上記と同様、日本に来てまで公道でスケートボードで遊んでみたり町中の壁面やシャッターに汚らしい落書きをする。どういう感覚を持って居るのだ。精神年齢が幼児レベルか?

4.罪人の証し、汚らしいイレズミを見せびらかして歩くな!ケガラワシイ!!ゾロリとした無礼な身なりで神社の鳥居を潜るな!

下郎ども来るな!!。卑賎の輩、人類の卑人、四つの輩、その方どもに言って置く、聖書が言う【命の書に初めから名を書かれて】いない輩とはその方ども【汚れ】のことだ。日本人各位、そのような下郎どもに諂うな!見過ごすな!

ここは一天万乗の君、天皇陛下のおわす国、神に選ばれた人々の住まいである。

我が薩摩の言葉でもう一度言おう・・『おい、こらこら、そこのヨゴレ、見苦しか、まじなっ、あっち行け!』

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北朝鮮危機とハルマゲドン

2017年04月13日 21時42分50秒 | 日記

 人類が地上に出現した時に起こった大問題の最終的決着の日が迫っている。その大問題とは・・【誰がこの世界の主人公か?】である。

 最終決着の戦いを聖書ではハルマゲドンと言う。それは古代にメソポタミア地方にメギドと称する交通の要衝たる高地があってそこで勝利したものはかの関ヶ原の勝者と同じ、敗者も関ヶ原の敗者と同じ立場になった。ハル・メギド、メギドの戦い、最終決着の戦い。

 旧約聖書のダニエル書の終わりの方に【北の王は倒れる、誰も助けるものは居ない】とある。多分これはオバマの時に起こった。彼は世界の警察から降りてアメリカは外から入って来て議を言う者共の好き勝手、いいようにされトランプがかろうじて今その愚劣にフタをしている。

 しかし同書はそのすぐ後に【その時、大いなる君ミカエルが立ち上がる。人の世始まって以来かかる艱難ありしことなかるべし】と予告されている。思うにこれが日本で弥勒の世の始まりと言われる2016年だろう。同時に黙示録が言う【新世界の王(上記ミカエル)が人を分別し始め】た時でもあろう。

 『時の過行くは隙行く駒の歩みの如し』・・視座を銀河系の中心に置いておかないとこれらは見過ごされる、イエスさんが言ったように【人々は食べたり飲んだり娶ったり嫁いだりしていて誰も注意を向けなかった】と言う仕儀になってしまう。

 黙示録には日本人が古代のイスラエルの直系子孫であることをうかがわせる記述がいくつかある。エゼキエル書には【日本を取り戻す】とはこのことだな、と思わせる記述がある。あの、ダークダックスが歌ったドライボーン云々のネタになった予告だ。

 以上を思考の底に置いて今我々の目の前にある事を考えれば、・・核と言う刃物を持ったキチガイが日本に一番近いところに発生した、落ち目の北の王がそのキチガイを何とかしようとやって来ている。キチガイの背後で悪賢いゴロツキが二人、漁夫の利を狙っている。

もうこれだけで聖書を書かせて今迄残さしめた神が【自らの存在と力】とを地球上の人類に思い知らせる格好の舞台設定と思えないだろうか?日本がこのシチュエーションの真ん中に置かれていること自体、普通の国ではない、何か神と関係のある国だと考えられないか?

 ひとつ間違えば全面核戦争が起こる、日本が消滅或はキチガイやゴロツキに占領されれば世界の未来はない。人類史に【かかる艱難】があっただろうか?
 随って、人類は既にハルマゲドンに突入した、と考えてもおかしくはない。

 日本の行く末は??・・心配しておいでの方もあろう。エゼキエル書は言う、【マゴグのゴグがイスラエルの山々に押し寄せる時、我が怒り我が顔に現わる】・・文永・弘安の役の時、あれは偶然の神風だったのだろうか?【行ってみたら敵が居なかった】と言う事態は古代のイスラエルでも起こっていたのだ。

 結論:日本国は神が地球人類世界の救済の為に選んで歴史の闇の中に隠し置いた人々の誰も予測だにしなかった、且つ到底納得し難い場と社会なのだ。予測も出来ず、納得もし難い、意外な場所と人々だったから隠されおおせたのだ。そして日本人自身がこのことを【妄想】と一笑に付すだろう。一笑に付したが故に【到底神の業としか考えられぬ】事が起こって我々は震え上がりそれこそタヌキのように身が縮まるのだろう。
 このような事態を見て福音書のある記事を想い出す。・・『主よこの人は何の罪科あって目が見えないのですか?』『罪科ではない、神の栄光が顕わされるためである』。形而上、形而下、全世界の全宇宙の神の栄光が顕わされる為に日本が、日本人が存在している。

 
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最近のクルマのデザイン

2017年04月13日 09時06分49秒 | 日記

嫌いだ、品がない、アニメみたいだ、ガンダムなんか欲しくない。女子供でもジジでもババでも運転できるクルマなんて何のワクワクもない。

和歌は万葉集で、俳句は芭蕉で、クルマはフォルクスワーゲン・ビートルで、西洋音楽はワグナーで、完成の域に達した。後はヴァリエーションとなくてもいいものの付け足しだけだ。

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