伊勢雅臣氏のメルマガより
■1.日本になぜこんなに世界一の事績があるのか
日本列島は世界の陸地面積のわずか0.2%、
それもユーラシア大陸の片隅だ。
そこに住んでいる日本人は世界人口の約1.7%に過ぎない。
それなのに、なぜこんなに世界一が沢山あるのか。
これが『日本史の中の世界一』[1]を読んで、
まず感じた疑問であった。
この本には世界最古の土器から戦後の高度成長まで、
世界一と言える日本の事跡が50も紹介されている。
それも単にそれらを並べただけではなく、
美術史の世界的大家・田中英道・東北大学名誉教授が編集し、
各分野での著名な専門家がその背景に至るまで
具体的に説明しているので、
それらを生み出した国柄に関する卓越した日本論となっている。
その国柄の一つとして、特に目立つのは、
天才な個人が現れて世界一を作り出したというよりも
(もちろんそのような事例もあるが)、
多くの国民が参加してその力を寄せ集めて
なし遂げた事例が非常に多い、ということである。
■2.式年遷宮というシステムの独創性
たとえば伊勢の神宮の20年ごとの式年遷宮。
各神殿が二つ並んだ敷地を持ち、
ひとつの神殿が20年経って古びた頃、
隣の敷地に全く新しい神殿が建てられて、
神はそちらに遷られる。
第一回の式年遷宮は持統天皇4(690)年に行われたが、
その時点では、
世界最古の木造建築物として今も残る法隆寺は建立されていた。
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そのような高度な建築技術を持っていたにもかかわらず、
飛鳥時代の先人たちは、
その“最先端”の技術を、伊勢神宮の建築には用いていない。
その代わりに、
すぐに朽ち果てる弥生時代の倉庫さながらの神殿を、
二十年ごとに建て替えるという
“神殿のリメイク・システム”を考案したのである。[1, p59]
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このシステムにより、
神宮は古びることなく、
1300年以上も後の現代においても真新しいままでいる。
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この式年遷宮というシステムの独創性に、私は驚くほかない。
しかし、そのシステムが、はるか千三百年の時を超え、
二十一世紀の今日まで“生きている”ことは、
さらなる驚きである。
世界史上、このような信仰に基づく、
このようなシステムが、
このように長く続いている例は他にない。[1, p61]
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さらに驚くべきは、
この建て替えが内宮と外宮という二つの「正宮」だけでなく、
14の別宮と、109の摂社、末社、所管社、
すなわち合計百二十五の神社すべてで行われる、
ということである。
しかも建物だけでなく、「御装束」(神様の衣服)や
「御神宝」(お使いになる道具)も約800種、
2500点をすべて2千数百人の職人が長い歳月をかけて作り直す
■3.無数の多くの代々の国民が、力を合わせて続けてきた
御遷宮には1万本以上のヒノキが使われるが、
それらは木曽地方などの神宮備林で育てられる。
樹齢2、3百年の用材を大量に育てるための人々がおり、
用材を切り出す際には神事が行われる。
切り出された用材は直径1メートル近く、
長さ数メートルのものもある。それらを奉曳車に乗せて、
長さ100-500mの綱を200-5,000名の曳き手が
掛け声に従って引く「御木曳(おきびき)」という行事もある。
平成18(2006)年から翌年にかけて行われた
第62回御遷宮の御木曳行事には一日神領民という
希望者が約7万7千人も参加した。
筆者は沿道でその行事を見学したが、
日本全国から集まった人々が,
地域ごとに揃いの法被(はっぴ)を着て、
いかにも楽しそうに掛け声に合わせて綱を引っ張っていた。
この第62回目御遷宮の総費用は550億円という。
神宮を参拝した人々のお賽銭や、篤志家・企業などからの寄付、
さらには全国の神社での神宮大麻(おふだ)の
販売などによってまかなわれている。
いわば国民の多くが御遷宮を支えているとも言えるのである。
このような大規模な御遷宮が過去1300年以上、
62回も続けられてきたという事は驚くべき事実である。
御遷宮は「続いてきた」のではない。我が先人たち、
それも無数の代々の国民が力を合わせて「続けてきた」のである。
その努力こそ世界唯一というべきであろう。[a]
写真は我が家のシンビジウム
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