月のひびき (徳正寺だより)

“いま”出遇えた一瞬をパチリ
それは仏さまとの日暮らし…

住職品格

2010年02月13日 20時47分53秒 | 仏々相念(住職日記)
金がものをいう日本・・・

「労働無き富」を得ている人々が大きな顔をしているこの国に
「品格」を問うことができるのでしょうか?
法友から送られた時報に書かれていました。

確かに多額のお小遣いを頂いていても知らないとおっしゃる方がおられます。
知らないとおっしゃるのだから知らなかったのかもしれません。
ひょっとしたら私が多額と思うだけで、
彼にとっては何でもない額だったのかも・・・
そんな訳ない・・・って、
ヨソさんの財布のことなどどうでもいいことです。
でも、彼にはやはりお金持ちの品を感ぜずにはおれません。
決して敬われるような品ではありませんが、
いかにもおぼっちゃまって感じの品・・・

本当に国民の苦しみが分かるのかって問いたくもなります。

何も彼だけのことでなく、
この日本にはそのような方が多くおられるのでしょう、どのような職種にも・・・
口ではうまく言うが本当に分かってるのかって言いたくなります。
この門徒の苦しみが・・・

お金が無くては生きていけません。
きれいごとでなく、本当に・・・
年金暮らしで慎ましく生きて下さるご門徒さま、
ご縁に会わせて頂きますと一生懸命お包み下さった御布施を施して下さる。
「おばあちゃん、ええよ。いりませんよ!」
って、言えればいいのかもしれません、
でも、分かっている上で頂いて帰ります、
お飾りさせて頂きながらも、私が生きる為に・・・
申し訳ない、すいません・・・って

お金持ちのお金であろうと、貧しい方のお金であろうと、
お金はお金として使われて行きます、同じ重みとして・・・
「ご院さん、すいません。これだけが精一杯なんです。」
っと握りしめられたお金・・・
これがあればっていう大切な大切なお金・・・
分かっている上で預かって帰ります。
我が方にしても本山にしてもそのしんどさの上に成り立っていることを
忘れてはいけないでしょう。

お金をその額として使うのか、
そのお金の向こうにしんどさを見ていくのか・・・
お金の向こうにはそのしんどさがあることを感じれば
頭を下げずにはおれなくなります。

お育て頂いて生かさせていることを省みながら・・・

横柄な生き方になっていませんか・・・?