月のひびき (徳正寺だより)

“いま”出遇えた一瞬をパチリ
それは仏さまとの日暮らし…

名無したけのこのはなし

2010年04月08日 22時51分58秒 | ふうわりふわり(坊守日記)
昨日、裏の墓地にお参りに行っているすこしの間に
どなたかが、たけのこを持って来てくださいました。

玄関に、袋に入ったたけのこが置いてあるのです。
今掘ったように、新鮮な香りもします。
いかんせん・・・名前がないのです。
どなただろうか・・・心当たりにお電話してみるも、ハズレ・・・。
やっぱりなんだか聞きづらくて、まあ、また連絡があるかもしれないし…と思ってしばらく待ってみましたが結局判らずじまいでした。

あの方かなあ、それともこの方かなあ・・・とお顔を思い浮かべながら
大鍋を出して昨夜下茹でました。

そのたけのこを今日は鶏肉と炊いていただきました。
おいしかったあ。
新鮮だったようで、とってもやわらかくて、あくもありません。

名無しのたけのこを、おかげさまでいただきました。
わざわざ持って来てくださったお方にお礼も申さずに、いただくばかりです。
どなたか存じませぬが、ありがとうございました

問答激化

2010年04月08日 19時30分33秒 | 仏々相念(住職日記)
もう、蛇に睨まれた蛙状態・・・

今日は、とても良い天気!
おっしゃ!黄砂が降った後の雨、汚れた車を洗うぞ!
あ~やって、こうやって・・・
自分の中で予定をたててルンルンで洗っていました。

来ました、来ました!
道路からそれ、駐車場で洗車している私に直行でした。
おっ、居る居るってなもんでしょうか!?
獲物を見つけた猛獣のようにニコニコしながら寄ってくれました。

「11日、子ども会するけん、おいでよ!」
「うん、分かった!」
ふたつ返事です。おっ、なかなか素直じゃん、と思ったのもつかの間、
「なんで子ども会するん? 
 なんでチョコパフェ作るん? 生クリームは? 果物は?・・・」
来た来た!
今日はこちらも応酬です、
「なんで今日学校早いん? なんで生クリーム食べたら頭痛いん?・・・なんで、なんで?」
彼女も可笑しかったのでしょうね、二人で大笑いしました。

お陰で私の予定は未定に終わります。
おもむろにランドセルを下ろし、上着を脱ぎ腕まくり・・・嫌な予感は的中します。
洗車を手伝うというのです・・・
ありがたいような、勿体ないような、嬉しいような、悲しいような・・・
私の中では洗車には拘りがあり、順序とかも決まっており
それを邪魔されるともの凄くストレスが溜まるのですが・・・
やる気満々の彼女は、ホースを持ちスポンジを握りニコニコさんをきれいにしようとがんばってくれるのです。
まっ、いいか! 楽しそうだし・・・

「このスポンジは、車の身体を洗うんよ。」
「なんでこのスポンジなん?」
「このスポンジは、ホイールを洗うんよ。 このタオルは・・・」
「なんであのスポンジじゃいけんの? なんでこのタオルは・・・」

ひたすら坊守を待ちます、来てくれ~・・・お願いだから・・・

なんやかんやでニコニコさんの洗車が終わりました。
でもお帰り下さいません・・・
このような私にもの凄く縺れて来るのです、背中に乗ったまま帰ろうとしません。

「Yちゃん!来とったの!」
この声をどれだけ待っていたことか・・・三門に立つ坊守の姿!
お~ぉ、この激しき問答もやっと終わる時が来た・・・
すべてを承知する坊守は、「Yちゃん、子ども会の案内を配りに行くけど行く?」
坊守から受け取ったカッパえびせんを手にお去りになる・・・

帰って来た坊守とお茶を飲みながら、武勇伝を語っていると、
「良かったね、お友だちが出来て! 
 お寺というところはそういうところじゃないと・・・」

どこまでも自分が可愛い私は、儘ならんことになると他を当てにし、
都合がいいことは私の手柄・・・勝手なものです。

こんな腹汚い私でも遊んでやろうかと思う朋の有難さ・・・
11日、待ってるよ!                          

木村拓也コーチを偲んで・・・のはなし

2010年04月08日 00時34分36秒 | ふうわりふわり(坊守日記)
巨人軍の木村拓也コーチがご逝去されました。
37歳だったそうです。

シートノック中に突然くも膜下出血で倒れられたというニュースを聞いてから、心配していましたが・・・残念です。
わたしは野球のことは詳しくないのですが、木村コーチのことは大の巨人ファンのSMAP中居君の番組に何度か出演されていたので知っていました。
とても誠実で笑顔の素敵な爽やかな方だなあという印象がありました。

昨年引退されて以来、コーチとして野球に尽くされていたそうです。
倒れられたのも、グラウンドでの練習中。
阿部選手が会見で「病床でも“練習に行かないと”って思われていたのではなかったろうか。・・・拓さんの気持ちの分までやるしかない。」というふうに答えられていました。

  どんな感じなのだろうか・・・突然に死を迎えるということは・・・
  ひどく痛かったのでしょうね・・・
  思い残すことってやっぱりあるのかなあ・・・
  ご家族はどれほど悲しい思いをされているだろうか・・・
わたしの母も木村コーチと同じくも膜下出血で倒れてから僅か20時間後に亡くなったので、母のことと重なっていろんなことを思いました。

あるカレンダーに
  死はジッとみつめられない。でも背を向けることもできない。
という言葉がありました。
わたしにもあるのです。その時が・・・
その時、大丈夫ですか?
いえいえ、いま、大丈夫ですか?と問われているようでした。

いまが確かなのです。
阿弥陀さまのおはたらきに摂め取られているのだから・・・。
そう、聞かせていただいております。

それにしても、37歳とは・・・
老少不定と聞かせていただきますが、あまりにも若くて惜しまれますね。
でも、阿部選手がおっしゃるように、木村コーチの思いをチームメートの皆さんやファンの方々、それに何よりご家族がしっかりと胸に抱いて、これから歩んでくださるのだろうと思います。
その歩みには、いつも木村コーチがいっしょにいてくださることでしょう。