月のひびき (徳正寺だより)

“いま”出遇えた一瞬をパチリ
それは仏さまとの日暮らし…

道端トークのはなし

2010年04月20日 23時06分26秒 | ふうわりふわり(坊守日記)
今日は歩いてお買い物に出かけました。
歩いているといろんな方にお会いします。
「こんにちはー!」とあいさつをすると・・・

「この間の常例法座、お参りできなくてごめんね。」と、W子おばあちゃん。
「そろそろ雨が降りますよ。うちの傘を持って行きなさい。」と、親切なIおじさん。
庭掃除をしておられたNさんは道まで出てきてくださって、「声掛けてもらうとうれしいのよ。ありがとう。」
道端で話が弾んで、なかなか国道まで出られません。
でも、この立ち話がなかなかおもしろいのです。

国道に出ると、ずっと向こうから自転車に乗った人が手を振ってこちらに向かってきます。
誰かと思えばOさん。「お久しぶり!今から孫のお迎えなの。」「いってらっしゃーい!」
さわやかに通り過ぎて行かれました。

帰り道では、国道の反対の歩道から何となく視線を感じて振り向くと
「ぼく、ずーっと前からわかっとったよ!」と大声で言ってくれたZ君。
先月まで保育園でいっしょにお茶のおけいこをしていた男の子です。
「気づかなくてごめんね。どう学校はたのしい?」「うん!」

坂道ではスリムなYさんがワンちゃんのお散歩中。
「最近よく歩かれますね。がんばって!」
あんなふうになれたらなあ・・・よし頑張るぞ!

40分あれば行って帰るコースを、あちこちで道端トークするものですから1時間以上もかかりました。

でも、思うのです。
結婚して18年。
数々の出遇いと別れを経てここにいます。
ご院さんと結婚しなかったら、ご近所の方々とも知り合うことが無かったかもしれません。
それがこうしてわたしに声をかけてくださる方が大勢いてくださいます。
この方々に支えていただいて今のわたしがあるのでした。
“あたりまえ”の上にあぐらをかいてたらいけませんね。

車では味わえないこの≪道端トーク≫、なかなかいいものだなあと思いました。



清潔信仰

2010年04月20日 21時58分45秒 | 仏々相念(住職日記)
とにかくきれいに・・・

ご縁を頂いてホールにお参りさせて頂きました。
良くして下さいます・・・
こんな年下の若造ですのに人生の先輩が大切にして下さるのです。
頭を下げ、茶菓子を用意して下さり至れり尽くせり・・・
どこまでもお袈裟に対するお心と深く深く頂戴させて頂くことです。

そこでは、使い捨ての御手ふきが度々出てくるのです。
お陰さまでこの手もピカピカです。

我が家では外出先から帰宅すると、「手洗いうがい」が定番です。
子どもたちも習慣となっており、鞄を置くと洗面台に直行です。
それをしないと気持ちが悪いのです・・・
あんまりしすぎると良い菌まで落としてしまうとか・・・
アスファルトばかりの世の中というのもあるのでしょうが、
清潔にしすぎていろんな病気も起こっているとのこと・・・

亡くなられた人を不浄とみていくことがあります。
ということは、生きている私たちが清浄とみていくのでありましょう。
清浄である私に穢れがつかないように・・・
塩をふり清める・・・人がしているからとりあえず・・・
お勤めをしてもらおう・・・訳が分からないけど嫌なことが起こっても辛いし・・・

確かにこの身はとてもきれいになりました。
みんなきれいに洗濯された服を着、風呂に入り身を清めます。
生活するなかで嫌なこと、災いごとがなければとりあえずこの清潔感・生活は保つことができます。
でも嫌なこと、災いごとは次から次へと起こって来て、その都度清める・勤める・・・
どこまでも、どこまでも他から寄せられる苦・穢れ・・・
どこまでも、どこまでも清浄なるは自分・・・

その自分の奥底ってどう・・・?
あんまり問題にしてない・・・?

心の視界のなかには、チラッチラッと見えてるはず・・・
どう・・・?
まだ塩ふって上辺だけつくろいますか・・・?