そんなことが・・・
その時その時の感情の起伏でしょうか、
いろんな体験のことを話して下さる。
暑くて堪らない時には涼しくなっていいのですが、
最近は大分涼しくなってきたのでそういった話には寒ささえ感じます。
嫌いでないので別に構わないのですが、
真剣に話される姿にしんどさも感じられます。
幽霊だろうがお化けだろうが
その方が見たというのだから否定はしません。
「そうですか・・・」って話を聞かせていただきます。
再現VTRじゃないですが、
ご自身自らジェスチャーして説明してくれるのです。
夜中、玄関から上がった踊り場に髪の長い年老いた風に見える女性が立っていたそうです。
背筋が凍る思いがしたという・・・
「横を向いていても誰か分かりません、こちらを向いて下さい」そう言うと、
ゆっくりとオジサンの方に向かれたそうだが下を向いたまんま・・・
「あなたは迷っているのですね、どうぞこちらが仏壇です。こちらに参りなさい。」
そう言って案内すると仏壇の前で下半身からす~っと消えていったという。
位置的なところも姿の有様もすべてリアルに再現して下さるのです。
そこまでせんでもいいですからって言いたいところですが
人生の大先輩のすることです、
「そうですか・・・」としか言いようがありません。
コイツには逆に聞こえてならないのです。
迷っている私たちだからいろんなご縁が阿弥陀さまの前に引きずり出してくださると・・・
そう思いつつ、一緒に座らせていただいたことをお話しさせていただきました。
お勤めさせていただきながら
かなり昔に本願寺新報の「みんなの法話」に書かれていた話を思い出していました。
ある小学生の子供が帰ってみると玄関に一円玉が一つ落ちている。
それを拾うとまた一つ落ちている。
それを拾うとまたひとつ・・・
それを拾って行くうちにお内仏の前に立っていた。
次の日も次の日も・・・
その家のお婆ちゃんの仕業だったとか・・・
孫に阿弥陀さまを拝ませたくて
来る日も来る日もず~っとしていたとか。
そんな話を思い出していました。
方法はどうあれ
阿弥陀さまに向きを向けさせてやりたい。
手を合わさせてやりたい。
お念仏申させてやりたい。
お婆ちゃんの思いが聞こえてきそうです。
勿論、その方法でお念仏を喜べる身になれるかどうかわかりません。
それどころか、
何でいつまで1円なんや、そろそろ10円になってもいいんやないかって思うだけかもしれません。
でも、突然にお念仏をよろこべるようになれるかといえば・・・
どうなんでしょう・・・
よろこべんそのまんまを生きつつも
やっぱり今まで出会ってきたものが
あるご縁を通して花開くみたいなところがあるのではないでしょうか・・・
「ちりとてちん」の塗箸の話じゃないですが
磨いても塗り重ねたものしかでてきませんから・・・
あ~、そうやったな~って。
生きている時には一円玉で
今生のいのち尽きようともアミダなるおはたらきとなり御育て下さっている。
今のこの手を合わせてくださるおはたらき。
何事があろうとも捨てることのないおはたらき。
ず~っとおはたらきくださっていたのですね。
今生にいのちある間に気付かせていただきたいものです。