生きづらい・・・
今日届いた本願寺新報を読んでいると「同調圧力」ということが書かれていました。
小学5年頃から友達との関係に「緊張がある」と感じている子どもが増えているとのこと。
どんな緊張感かというと
ノリに遅れないように友だちの顔色を伺いつつ、
ノリよく振る舞わないといけないのだそうです。
でなければ仲間外れにされ一人で過ごすことになる・・・
だから休み時間はサバイバルのごとく大変なんだとか・・・
休み時間に休めないとか学校嫌いのコイツには考えられないことです。
授業中の方が休めるというのだから嘆かわしい。
子どもにとって学校生活は大きなものです。
その生活において一人ぼっちになることは堪らないことですから耐えるのでしょう。
どの社会もしんどいな~って読みながらブツブツ。
コイツの時代でもあったのでしょうね。
言われてみれば仲良くしつつもどこかで気を遣って過ごしていたようにも感じます。
でもそれは子どもの社会でも必要なことで
サバイバルというような殺伐としたものでなく
みんながそうすることで穏やかで円かな空気が流れていたような気がします。
どちらかと言えばボスキャラみたいのものがいなかったからよかったのかもしれません。
否、ボスキャラみたいな奴がボスキャラしてなかったからなのでしょうか・・・
本当のボスみたいな奴はそうじゃなくてはって身近な奴を思い浮かべながらそう思うコイツ。
本当の強さっていうのは支えることができる優しさだと思います。
少しずつ齢を重ね今に至るコイツ。
外面を飾る・・・
それは、サバイバルのごとくに一生懸命にノリよく振る舞っているコイツのことなのだと知らされます。
正しくコイツの姿。
そこまで卑下しなくてもって思いつつも・・・
ホントのところです。
腹の中は大変なことになっているのに・・・
そんなコイツのホンマが知られたら一人ぼっちになります。
それが分かるコイツはいい人ぶるのです。
「生きる」ということの為に・・・
どこまでもコイツの姑息な人生です。
ご縁をいただくといろんな話を聞かせていただきます。
いい話ならいいのですが聞きたくもないような話・・・
あの人がどうした・・・
この人がどうした・・・
時には同業の方の話とか・・・
で、それをオレに言ってどうしろと・・・
そう思いつつ長い話を止めさせていただいて、
「それでは折角のご縁ですから優しい気持ちでお勤めさせていただきましょう」っていうのが関の山。
折角のご縁ですから殺伐とした空気の中でっていうより
穏やかな方がいいですもんね。
決してご門徒が圧力をかけているということではなく
その方々もまたしんどい思いをされての日常、
せめて阿弥陀さまの前くらいは優しい気持ちを取り戻したいものです。
阿弥陀さまは圧力を掛けたりしません。
阿弥陀さまはいつも一人一人のことをおもってくださっています。