月のひびき (徳正寺だより)

“いま”出遇えた一瞬をパチリ
それは仏さまとの日暮らし…

一日一巻

2013年10月05日 18時51分31秒 | 仏々相念(住職日記)

お育てですね・・・

 

御三部経の御本を持参しても見向きもしない方もいる。

手に持ち一緒に拝読してよろこんで下さる方もいる。

決して強制するところではないのでどちらでもいいのですが・・・

 

我が家に帰るような感覚でお参りできるご門徒さんのところにお参りさせていただきました。

いつも一緒にお勤めして下さいます。

「お経さん、持ってきていますので一緒にお勤めさせていただきましょう。」

そう言うと直ぐに手に取って下さり押し頂かれながら開かれます。

「これは字が大きくて読みやすいのでいいですね。」

そう言っていただきいつものように一緒に読ませていただきました。

 

この方、いつもは無本でお勤め下さいます。

もうオリジナルっていうか自分の節で気持ち良さそうにお勤め下さいます。

人生の先輩の声を背中に聞かせていただきながら

「気持ち良さそうだよな~」って思います。

 

「Hさん、やっぱり御三部経さん覚えようと思われたのは切っ掛けがあったのですか?」

「御三部経をお勤めさせてもらおうと思ったのは両親のご縁をいただいてからです。

 中学生の頃にお正信偈、阿弥陀経のご縁をいただいていたのですが

 無量寿経・観無量寿経は最近です。」

「小さい字のお経さんって仰っていましたけど・・・」

「これなんですがね・・・」

って出していただいたお経さんは手帳サイズの古いものでした。

「こんなの見たことがありません、私が生まれた頃のですね・・・」

「京都に上がった時にでも祖父母がいただいて帰ったのかもしれませんね」

「お育てをいただきますね・・・」

 

お経さんが家にあっても手に持つことさえない人がいる。

持参して目の前に置かせていただいても持つことのない人。

様々です・・・

そんな中でも縁に触れ御経本を手に持ち拝読して下さる方もいる。

どうせ朝晩お参りさせていただくのならず~っと昔からあったこの本読ませて頂こう。

一日一巻、勤めさせて頂こう。

 

そんな感じで今に至ってます・・・

 

ず~っと昔からあるお経さん。

そのページを捲るとご両親・祖父母・・・

縁ある方々の薫りに出会われるのでしょう。

 

少年の頃覚えた正信偈。

師匠になってくれたのは祖父母の姿。

「き~みょう~む~りょう~じゅにょらい~・・・」って発する度に出会う姿。

「ぶっせつむりょうじゅきょう~」って発する度に感じるあの時の涙。

 

お育てをいただくというのは有難いことです。

 

ようお勤めできたね・・・

ようお念仏申してくれたね・・・

よう手を合わせてくれたね・・・

 

今日も一日、ありがとうございます。

 

「この命ある限り続けていきます」って微笑まれる。

有難いの連発でした。