今日はお盆の灯籠終いのご法縁にお参りさせていただきました。
ご主人様が、
「母が亡くなってから、お経のご縁にあうことが多くなって、読むのも難しいし、意味はわかりませんが、お経のことばが響きとして胸に入ることがあります。」
と、お話をしてくださいました。
そうなんですよね。
お経さまの功徳って、私が読経するから誰かが救われるというのではなく、
せつないものをいっぱい抱えているこの私に聞かせようと、美しい響きとなって胸に入り込んでくださるのでしょう。
それがまた縁となって、阿弥陀さまのお慈悲をお聴聞させていただくのですね。
帰り道に海沿いに車を停めて、海と雲を眺めていました。
波も雲も、一瞬だって止まっていません。
波は寄せたり帰ったり、雲は流れてかたちを変えて、晴れ間をみせたり隠したり…。
このいのちも心も同じです。
ああ、せつないなあ。
でも…
波は大海のうち。
雲は大空のうち。
私は阿弥陀さまのお慈悲のうちでした。
ご主人様が、
「母が亡くなってから、お経のご縁にあうことが多くなって、読むのも難しいし、意味はわかりませんが、お経のことばが響きとして胸に入ることがあります。」
と、お話をしてくださいました。
そうなんですよね。
お経さまの功徳って、私が読経するから誰かが救われるというのではなく、
せつないものをいっぱい抱えているこの私に聞かせようと、美しい響きとなって胸に入り込んでくださるのでしょう。
それがまた縁となって、阿弥陀さまのお慈悲をお聴聞させていただくのですね。
帰り道に海沿いに車を停めて、海と雲を眺めていました。
波も雲も、一瞬だって止まっていません。
波は寄せたり帰ったり、雲は流れてかたちを変えて、晴れ間をみせたり隠したり…。
このいのちも心も同じです。
ああ、せつないなあ。
でも…
波は大海のうち。
雲は大空のうち。
私は阿弥陀さまのお慈悲のうちでした。