口には出さねど誰もが・・・・?!
それに引き換え、逆賊の汚名を着せたい奸臣ども!
誰とは言わないが、言わなくても分かる・・・
そして、懲りない原子力マフィアの面々!!
案外、庶民の洞察は中っている。特に飯山一郎さんの洞察は中ってる。
【転載開始】ヨッシー
職場の上司の娘婿が、急性心不全のために病院に運ばれました。
現在、集中治療室で予断を許さない状況。
まだ20代、新婚で1月に赤ちゃんが生まれたばかり!
循環器の担当をしている先生によれば、今年は昨年の5倍は心臓病で亡くなる人がいるとの事だし、セシウムは心筋を破壊するので心臓病が増えるのは当然なのですが、身近な人が急性心不全になったのはショックでした。
早く良くなりますように!
因みに、最近まで彼は放射能のホットスポットと呼ばれる松戸に住んでいました。
【転載終了】
こういう話、侮らない方が良い。いくつもある話の一つに過ぎない。知らないのは、情報を閉ざしているからだ。原因が考えるとすれば、内部被曝、そう、低線量被曝でも何でもない。低線量は危なくない! 一理あろうが、その裏で内部被曝を隠そうとしている意図が透けて見える。
それにしても、陛下に於かれては、マイコプラズマ肺炎、そして、この度の狭心症、素人は誰しも疑って観てしまうのも無理はなかろう。激務と被災地訪問、そして、その姿は誰の目にも焼き付いている。
【転載開始】
2012.02.13 16:00
東日本大震災以来、天皇、皇后両陛下は幾度も被災地をお見舞された。今あらためてお見舞いの際に両陛下と被災者の間に生まれた心温まる秘話をしよう。
昨年5月6日、両陛下は岩手県を訪れた。釜石陸上競技場から被災者が待つ釜石市立中学校にマイクロバスで向かわれたのだが、その時、驚くことがあった、と同行した釜石市長・野田武則氏(58歳)が話す。
「バスの中で天皇陛下は右側の、皇后陛下は左側の席にお座りになりました。ところが、近隣の住民たちが沿道の左側に立ち、手を振っていました。すると天皇陛下は、ご自分のお姿が住民によく見えるようにと立ち上がり、背凭れなどにつかまりながら手を振り始められました。
不安定なので、失礼ながら私が『お座りになった方がよろしいのではないでしょうか』と申し上げると、『皆が出迎えてくれているので手を振らなければなりません。だから、座らなくていいのですよ』とおっしゃいました。
結局、釜石中学校に着くまでの20~30分間、揺れるバスの中でずっとお立ちになったままでした。これが自分の責務なのだ、という強い思いを抱いていらっしゃるようにお見受けしました」【転載終了】
それに引き換え、奸臣と懲りない原子力マフィアの傍若無人は、まさに飯山さんの言うところの”天誅”に値する。言葉は過激かも知れないが、日本には今、悪鬼が跋扈している異常な時代だ。
陛下に於かれては、言葉ではなくして、赤子の苦難を一身に受け止められている様に思えるのは、単なる独断と偏見か? お労しいを越えて、断断固としてこれをくい止めることは、日本の忠臣の努めであろう。
時代がかった書き方になってしまう。表題上、これも致し方がない。
時代がかった書き方と言えば、彼の三島由紀夫は時代がかった死に方をした。これについては文学上の美学の表現であるとの見方もあるが、当時、そうかも知れないと単純に思った。
若かったのと、時代はまさに高度成長期、物質文明の絶頂期を日本はばく進していたのである。その時に、まさに三島由紀夫は割腹自殺を遂げた! 何とも時代がかった最期だろう。唖然として、眺めていた自分と、金閣寺が交錯した想いがある。
それは、単に文学上の美学という狭い範囲からではないというのが、今の投稿者の考えだ。その必要はさらさらないし、そうはなるまい。それはこうして書いている中でも共感出来る。
やはり、訴えるべき事があったのである。文士は表現者であるから、表現方法を選び取ることには長けている。三島由紀夫に於いておや!
さて、僭越ながら、飯山一郎さんを差し置いて、いまだ書かれていない三島由紀夫の本心を探る情報を暴露しておきたい。当たるも八卦、中らぬも八卦である。
【転載開始】 <前略>それは、能登半島で拉致事件が発生した時、石川県警が拉致現場に駆け付けるのを、遠くから自衛隊が見ていた。
当然、県警が拉致犯を取り押さえるものと思った自衛隊は、驚くべき光景を目の当たりにする。当時、浜辺にはアベックが数組散歩をしていたが、県警はそうしたアベックが拉致現場に近づかないように(目撃されないように)排除したのである。
そして、
拉致は成功する。
これは拉致を防止するのとは逆の行為であり、むしろ拉致を支援する行為であった。
この光景を目の当たりにした当時の自衛隊の調査隊の幹部は、涙ながらに三島に訴えたのだった。そして、怒りに燃えた三島は保利に事実の確認を行っている。<後略>【転載終了】
転載元は、故あって明かさない。分かる方は分かるだろう。
天皇陛下から東北地方太平洋沖地震被災者へのビデオメッセージ
さて、
天皇陛下に於かれては、自らの体現によって、国民を鼓舞しておられる。かつて、自ら素早くビデオにお出になられて、時の自衛隊員の救助活動を鼓舞された様に、いや、鼓舞では終わらない。自衛隊員を縦糸で結びつけたのである。
同じく、赤子たる国民を怪しげな横糸の絡みを、日本人としての縦糸を結びつける体現を示された、そう、読み解くことが出来る。深読みであろうか? 自由に思考してくれたまえ・・・・・。
【転載終了】
昨年3月、菅直人が側近に漏らしたことは…、
「東日本には人間が住めなくなる…」
これは、総理大臣(官邸)に上がってきた確実な危機情報だ。
確実情報だからこそ、VIPたちは妻子を海外に疎開させ、高線量地域に行く
ときは、宇宙服みたいなファッションに着替えるのだ。しかしながら…、
日本のVIPのなかでも、天皇陛下だけは、高線量地域を平服のまま平然と
訪問されていた。
これは、今上陛下が、
「天皇は、常に、国民とともにあゆむ」
と言われてきた御言葉そのままの御心(みこころ)の御発現である。
今上陛下は、まさしく有言実行の御仁なのだ。ところで…、
どんな言葉にも「ウラ」(裏の意味)がある。
今上陛下が常々言われてきた、
「天皇は、常に、国民とともにあゆむ。」
この御言葉にも、まごうかたなく、裏の意味は存在する。
今上陛下の御言葉の「裏」に秘められた意味とは、一体どんな意味なのか?おそれおおいことではあるが、今上陛下の御言葉を赤心をもって解釈したい。
「天皇は、常に、国民とともにあゆむ」
この御言葉の裏の意味、即ち、今上陛下の御心は
「天皇は、国民が死ぬときは、ともに崩(ほう)ず!」
これを直訳すると、「天皇は、国民とともに死ぬ!」
と、解釈申し上げるほかはない。中国古代の歴史家・司馬遷は、「今上知天下」(『史記』)と記した。
「今上」とは、現在の帝(みかど)のことである。
「今上知天下」とは「帝(みかど)は天下の全てを知る御仁である」という意味だ。菅直人が、原発災厄により「東日本には人間が住めなくなる」との確実情報を
愚生のようなボケ爺でさえ日本国の危機を正確に把握していた。
得ていた頃、今上陛下も同じ情報を得られていた。
「今上知天下」。「帝(みかど)は天下の全てを知る御仁なのだから。『最悪事態だと覚悟するほかない…』(2011年3月11日)上の愚生(ぐせい、鷲のこと)の文章はヘタだが、論点と焦点は正鵠を射ている。
『最悪事態の,そのまた最終事態!』(2011年3月12日)まして、天皇陛下である。
「今上知天下」。今上陛下は、日本国がおかれた全ての状況を把握なされ
たうえで、『東北巡幸(じゅんこう)』を重ねられておられたのである。
「全ての状況」には、勿論、御自分が重大に被曝されることも含まれている。そうして実際、今上陛下は、
「マイコプラズマによる感染症を患い,入院を余儀なくされた…」
と、国民に向けて御言葉を下された…。(天皇陛下お誕生日の御言葉)。
そしてまた、今回の心筋梗塞の御症状と、18日の冠動脈バイパス手術で
ある。
今上陛下は、御自分の御不幸を全て御承知の上で、『東北巡幸』を執拗に
お続けになっておられた…。「天皇は、常に、国民とともにあゆむ」
この御言葉に、今上陛下は、徹頭徹尾、徹してこられた…。
これほど「国民主義」に徹された天皇は、長い長い日本国の歴史のなか
でも稀な御存在であられる。
それだけに、いま、今上天皇陛下が、尚一層、おいたわしくてならない!
こう、多くの国民が心を痛めているはずである。そうであるから…、
「天皇陛下 万歳!」
(昔、ちゃちな軍国主義者が叫んだのとは全く違う意味で)愚生は祈りたい!
皇居を遥拝しつつ、衷心からの祈りを捧げたい。
と。(つづく)◆2012/02/15(水) 天皇陛下 万歳! (2)「賢聖恤民(けんせい じゅつみん)」。
「恤(じゅつ)」とは「心配する」の意で、中国の史書に散見される言葉だ。
賢くも聖なる帝(みかど)が先ず心配すべきことは国民の生活!という意味だ。「国民の生活が第一!」 という政策を、政治(まつりごと)の基本に据える!
この考え方が熱狂的に支持され、小沢一郎の民主党は政権を獲得した。
ところが今の民主党は、国民の生活どころか、国民皆殺し! の政治。
この殺人政権(と、これを指揮する高級官僚)には 天誅! を下すべきだ。いま、「賢聖恤民」を、真心をこめて、命を懸けて、真剣に実践されている
御方は、日本国では、たったお一人、天皇陛下だけであらせられる。今上天皇陛下の「賢聖恤民」の思想は、さらに徹底しておられる。
民(たみ)を「恤(心配)」するどころか、「天皇は、常に、国民とともにあゆむ…」、
さらに「天皇は国民とともに死ぬ!」という御覚悟まで示されておられる。高線量地域を平服のまま、平然と何度も何回も訪問され、避難民と同じ床
に座られて、ひとりひとりに心優しいお労り(いたわり)の御言葉をかけられて、
長時間お話になられる…
これは、「決死の皇道」、あるいは「必死の皇道」とも言うべき、壮絶にして
悲壮な御覚悟がなければ出来ないことだ。おいたわしや などて すめろぎは
おかくれにならむと おほもいたまいしか天皇陛下の「民を思い、倹を守る」という“恤民哲学”は、実生活の面でも
徹底して実践しておられる。
たとえば、政府と東電の一方的な「節電政策」で国民が苦しんでいるとき、
御所も、両陛下のご意向で、電源ブレーカが落とされた。「夜ともなれば、御所内は真っ暗になるわけですが、両陛下は懐中電灯を
お使いになっていました。
さらに、両陛下はご自分たちのお食事を“一汁一菜”とするように大膳課に
指示を出され、それを実行に移されたのです」(皇室関係者)この「民を思い、倹を守る」お姿。
天皇陛下ともあろう御方が、御所の暗闇を懐中電灯で照らされる お姿。
なんと! 天皇様が“一汁一菜” のお食事を召し上がっておられる お姿。頭(こうべ)を垂れ、土下座して感謝の気持ちをあらわしたくならないか?!
同じ頃…、
頭(こうべ)を上げ、ワラ人形に五寸クギを、ブチ込みたくならないか?!(つづく)
時の総理大臣・菅直人は夫人を引き連れ、赤坂・六本木の最高級料亭に
繰り出し、超ご機嫌で最高級の料理に舌鼓(したづつみ)を打っていた…。