福島第一原発故吉田元所長事故調「調書」が、
明らかにされた・・・。
それを見ると、
空き缶総理が、
如何に嘘つきかが、
改めて分かる・・・?!
まあ、混乱の中であるから情報の行き違いということも、あったかもしれないが、それ以上に当時の菅首相の頭の中が、混乱していたことが窺える。
結局、鳴り物入りで福島第一原発に乗り込んだのも、何の意味も効果もなかったということになる。単なる混乱して、取り乱した総理の姿しか写らない。
自らも事故調の調査対象でありながら、その脇でテレビ出演して、いろいろ喋ったことの多くは、自分の都合に合わせたものであった。いつもの彼独特の、我田引水である。
侍は、故吉田元所長の方であろう。
まさしく、戦場に散ったのである。しかし、最後までその職務を放棄しようとしたことはない。「撤退」など、言ってもいない。この言葉は、明記しておくべき言葉であろう。死人に口はないのであるから・・・。
日本人で、撤退、放棄などは、馴染まないのである。取り分け、絶体絶命の時、その運命と共にする覚悟のない日本人は居ない。それは、一つに大きな安心である。且つ、自信である。
今、必要なことは、真実を知る必要がある。そして、自信を取り戻す必要がある。
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【転載開始】
【吉田調書抄録(1)】吉田所長「撤退なんて言葉、使うわけがない」「アホみたいな国のアホみたいな政治家」
2014.8.18 11:30 (5/5ページ)[福島第1事故「吉田調書」]
東京電力福島第1原発事故で、所長として現場の指揮を執った吉田昌郎氏は政府の事故調査・検証委員会(政府事故調)に対し「全面撤退」を否定する など現場の状況を詳細に説明した。聴取内容を10回に分けて詳報する。1回目は吉田氏の菅直人元首相に対する評価を中心にまとめた。質問者は事故調の調査 委員。
◇
〈菅首相は事故発生翌日の平成23年3月12日午前7時11分に福島第1原発を視察に訪れた〉
--いつごろ首相が来られるという話になったのか
吉田氏「時間の記憶がほとんどないんです。(午前)6時前後とかには来るよ、という情報が入ってきたんだろうなという」
--何のために来ると
吉田氏「知りません」
--首相は所長に対し何を話したのか
吉田氏「かなり厳しい口調で、どういう状況だということを聞かれたので制御が効かない状況ですと。津波で電源が全部水没して効かないですという話をした ら、何でそんなことで原子炉がこんなことになるんだということを班目(まだらめ)(春樹原子力安全委員長)先生に質問したりとか」
--いかに現場が厳しい状況か説明したのか
吉田氏「十分説明できたとは思っていません。自由発言できる雰囲気じゃないですから」
--現場に近い状況が壁一枚向こうにあるが、首相は激励に行かれてないか
吉田氏「はい」
--中を(視察・激励しに行かなかったのか)
吉田氏「全く、こう来て、座って帰られましたから」
〈菅氏は3月15日午前5時半ごろ東電本店の非常災害対策室に入った〉
--何をしに来られていたんですか
吉田氏「何か知らないですけれどもえらい怒ってらしたということです」
〈菅氏は「撤退したら東電は百パーセント潰れる」と発言〉
吉田氏「ほとんどわからないですけども、気分悪かったことだけ覚えていますから、そういうモードでしゃべっていらしたんでしょう。そのうちに、こんな大人 数で話をするために来たんじゃない、場所変えろとか何か喚(わめ)いていらっしゃるうちに、この事象になってしまった」
〈事象とは2号機の格納容器の圧力抑制室の圧力計が下がり、4号機の原子炉建屋が爆発したこと〉
--テレビ会議の向こうでやっているうちに
吉田氏「そうそう。ですから本店とのやりとりで退避させますよと。放射能が出てくる可能性が高いので一回、2F(福島第2原発)まで退避させようとバスを手配させたんです」
--細野(豪志首相補佐官)さんなりに、危険な状態で撤退ということも(伝えてあったのか)
吉田氏「全員撤退して身を引くということは言っていませんよ。私は残りますし、当然操作する人間は残すけども、関係ない人間はさせますからといっただけです」
--15日午前に2Fに退避した人たちが帰ってくる
吉田氏「本当は私、2Fに行けとは言ってないんですよ。車を用意しておけという話をしたら、伝言した人間は運転手に福島第2に行けという指示をしたんで す。私は福島第1の近辺で線量の低いようなところに一回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2Fにいってしまったというんでしようがないな と。2Fに着いたあと、まずGM(グループマネジャー)クラスは帰ってきてということになったわけです」
--所長の頭の中では1F(第1原発)周辺でと
吉田氏「線量が落ち着いたところで一回退避してくれというつもりでいったんですが、考えてみればみんな全面マスクしているわけです。何時間も退避していて死んでしまう。よく考えれば2Fに行ったほうがはるかに正しい」
--退避をめぐっては報道でもごちゃごちゃと
吉田氏「逃げていないではないか、逃げたんだったら言えと。本店だとか官邸でくだらない議論をしているか知らないですけども、現場は逃げていないだろう。 それをくだらない、逃げたと言ったとか言わないとか菅首相が言っているんですけども、何だ馬鹿(ばか)野郎というのが基本的な私のポジションで、逃げろな んてちっとも言っていないではないか。注水とか最低限の人間は置いておく。私も残るつもりでした。場合によって事務の人間を退避させることは考えていると 言った」
--本店から逃げろというような話は
吉田氏「全くない」
--「撤退」という言葉は使ったか
吉田氏「使いません、『撤退』なんて」
--使わないですね
吉田氏「『撤退』みたいな言葉は、菅氏が言ったのか誰がいったか知りませんけども、そんな言葉、使うわけがないですよ。テレビで撤退だとか言って、馬鹿、誰が撤退なんていう話をしているんだと、逆にこちらが言いたいです」
--政治家ではそういう話になってしまっている
吉田氏「知りません。アホみたいな国のアホみたいな政治家、つくづく見限ってやろうと思って」
--ある時期、菅氏は自分が東電が逃げるのを止めたみたいな(発言をした)
吉田氏「辞めた途端に。あのおっさん(菅氏)がそんなの発言する権利があるんですか。あのおっさんだって事故調の調査対象でしょう。そんなおっさんが辞めて、自分だけの考えをテレビで言うのはアンフェアも限りない。事故調としてクレームつけないといけないんではないか」
〈政府事故調は菅政権が設置を決定。23年6月7日の初会合で菅氏は「私自身を含め被告といったら強い口調だが」と発言した〉
--この事故調を自分(菅氏)が作っている
吉田氏「私も被告ですなんて偉そうなことを言っていたけども、被告がべらべらしゃべるんじゃない、馬鹿野郎と言いたいですけども。議事録に書いておいて」(肩書は当時)【転載終了】
