驚いた!愕然たる思いだ!
心ない中傷誹謗が行き交っていた・・・?!
そして、
その挙げ句の非業の自殺!
排除の論理が先行したとしか、
思えない!
STAP細胞が在るのか無いのか、研究不正が有ったか無かったか、の問題は割愛しよう。一人の人間が、自殺したのである。
問題のNHKスペシャルと言い、マスコミ、就中、週刊誌レベルでの報道では、ほとんどスキャンダルに染め上げられてしまっていた。とうてい、研究不正がどうのこうのの問題を、大きく逸脱していた。
おそらく、これらが自殺の大きな原因であろう。
問題の核心は、STAP細胞が在るのか無いのかの科学的真理の問題であるが、それを大きく逸脱したのは何であろうか? 排除の論理が先行したのである。
STAP細胞は、在ったら良いのである。悪いことは何もない。その存在証明が不十分なら、満を持して探せばよいものを、それをしないで、あるいは、それに傾注しないで、存在証明の不十分さをあら探ししていたのである。
それはどうしてか?
存在証明されたら、都合が悪い者が居るからだ。
永年の科学界の徒弟制度を歩んできた者にとっては、嫉妬以外の何物でもない。その上に築かれた、現在の地位と名誉は、脆くも崩れ去る。少なくとも、その怖れを抱いていることは間違いなかろう。
ロマンよりも地位名誉が先行する。
科学は、ある意味、見果てぬ夢の追求であるはずだが、世俗的話題が先行するのは、欲が絡んでいるからである。STAP細胞が在るか、無いかというロマンの追求が仮にその手法のおいて、瑕疵があったにせよ、その目的性において批判される筋合いは無いのである。
STAP細胞という画期的分野に於いて、利権が先行したという見方もある。それは本物であってこその利権であるから、それを追求する側の虚偽が在っては胡散霧消する問題だ。
敢えて、作為的に虚偽を捏造する理由も、意味もない。
本物であるから、利権が蠢くのである。控えめに見ても、本物であろうとすると、都合の悪い人も出てくるし、嫉妬も湧くし、利権も蠢くのである。
作為による捏造の動機は何か? 何もない。寧ろ、捏造は何れ暴かれるであろうから、その不名誉と科学者としての地位を危うくさせるリスクのみである。
それをマスコミメディアが叩くのは、常に、スキャンダラスな話題を糧とする低級マスコミメディアの渡世手段として当然としても、公的メディアの代表であるNHKが、センセーショナルにスペシャル番組に登場させる意味は限りなく低い。
逆説的に推理すれば、本物であるとの認識が、それを推進する。つまり、叩くのである。
叩いて、芽を摘む。芽を摘んで、別のものを後援する。そうとしか思えないではないか?
これで、iPS細胞は安泰になった。少なくともiPS細胞に纏わるプロジェクトは安泰になった。そして、年功序列の科学徒弟制度は、強固になった。その中に生きてきた重鎮の科学者は一息を付くこととなった。
地位と名誉は守られたのである。
さて、
STAP細胞は、在るか無いかの問題について、その専門的分野について論議することは到底適わない。それは、その実証実験の結果を冷静に待つしかない。冷静に待てばよいものを、在ること無いこと論って、仰々しくスキャンダラスに取り上げること自体は、まるで、魔女狩りと大差がない。
魔女狩りによって、有意の研究者を死に追いやった。そう観て、間違いは無かろう。
実に、腹立たしい思いである。
素人のロマンで書くとすれば、STAP細胞は存在して悪いところは何もない。自然は、単純であると考えている。単純にして明快であると感じている。そうでなければ、奇跡は起きないと考えるからだ。
遺伝子操作を前提に、突然変異が起こるとはどうしても考えられない。突然変異までには至らなくても、進化は単純な経緯をもって、繰り返し、継続して起こるものであると考えられる。それが酸性の刺激か、はたまた、その他の刺激が端緒になるかは分からない。
ひょんな切っ掛けでそれらは日常的に発生する。そう考える方が、ロマンが在るではないか。又、そうであるからこそ、医者の複雑怪奇な治療を忌避して、病気の治る例が多いのである。寧ろ、象牙の塔の医療は、多くの病人を、病人でもない健常者を病人に仕立て上げて、殺してきているのだ。
それが医原病である。
灸で治ったり、針で治ったり、はたまた、思いで病気が治ったり、その類は暇がない。それらは、決してネイチャーの採用論文にも挙がることはない。ノーベル賞など夢の又夢の世界である。
事実は、小説より奇なり、と言うことは、実際には多いのである。
その事実を気づいたとして、そして、その事実を立証しようとしたとして、非難される筋合いはない。その立証に、多大な齟齬が有ったとしても、事実があり、事実に気づいた才覚に罪はない。
その齟齬を、有意な研究的手法を用いて援助したとて、責められる筋合いは一つもないのである。それを責めるのは、嫉妬であり、下衆(下司)の勘ぐりであり、下品以外の何物でもない。
象牙の塔の権威主義と下衆(下司)の勘ぐりが、有意な研究者の命を奪ったのである。
科学について、専門家ではないが、事実の証明を目的とする手法は同じである。その手法が十分か否かは問題ではない。問題なのは、その事実そのものであって、それが何処まで真実性を帯びているか否かが重要なのである。
それは、洞察力にある。心が歪んでいては、洞察そのものが働かない。色と欲は、それを歪めてしまう。
まさしく、今回のSTAP細胞騒動は、色と欲との歪みで人一人を死に追いやった。そう観るのである。
小保方晴子博士が危ない。
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