驚くべきことに、日本は法治国家でなかった!
中国は『人治国家』と呼ばれる?!
日本は法治国家でないとすれば、
何治国家であろうか?
世界に稀なる『裁量国家』であろうか?!
誰が裁量するのか?
官僚=官吏である。
官吏とは、組織に魂を売った人間のことである。
良し悪しに関係がない。組織のお上に従うのが、官吏であるからだ。
それが、国家公務員法では、公務員(一般職公務員)と呼ばれている。
日本国憲法第15条でいう公務員とは、全く、異質の存在である。
国家公務員法は、明らかに現行憲法違反である。
その官吏が、裁量をする国、それが日本である。
官吏=官僚裁量国家日本である。
官吏にあらざれば、人にあらず、
一般の国民は組織に生かされた民に過ぎない。
民とは、井口博士によれば、
民(たみ)と民(みん)と訓読みと音読みでは意味が逆転するようであるから、
ここでは民(たみ)としておこう。
民百姓の民(たみ)である。
要するに、日本の国民はお上に生かされた存在に過ぎない。
お上を仰いで、意を行うのが官吏である。
それが、今や、一般職公務員と呼ばれている。
日本国憲法でいう「公務員」は、国民によって選ばれた人となっているが、
全くの別物である。
日本には、法治主義は生かされていない。
そして、
民主主義もない。
実際に稼働しているのは、官吏(官僚)主義であり、その裁量国家である。
憲法には、民主主義が述べられているが、
国家公務員法では、見事に官吏(官僚)主義にすり替えられている。
法治主義から観れば、明らかに憲法違反であるし、
驚くべきことに、
国家公務員法は、あらゆる法律(憲法を含む)に優先すると書かれている・・・??
こんなことは、誰も知らないだろう?!
勿論、私も知らなかった。
さらに、
憲法には、三権分立が明記されているが、
どうもそれは違うようである。
最高裁判所という司法は、
安全保障という政治判断は、憲法判断に馴染まないという事で、
行政判断を放棄した。
これも、法治主義から言えば、違憲である。
が、
官吏(官僚)主義は、裁量権を働かして、
そう判断したのである。
良し悪しは別にしてと書いたが、
その判断は、国民が決めることである。
実体は、そういう国家であるという子に気が付くここが重要であろう。
そう考えて観れば、
あらゆる事が見えてくる。
日本の実体は、官吏(官僚)主義である。
そして、国民はその裁量で生かされている存在である。
官吏(官僚)にあらざれば、人にあらず、民である。
今でこそ、民百姓ではないが、
民ビジネスマンとでも呼べばよいのであろうか?
見事に、士(侍)に代わって、
士農工商ではない、別な形の身分制度が確立している。
士(侍)に代ったのは何か?
官吏(官僚)である。
公務員天国と言われるが、
実は、
官吏(官僚)天国である。
その中で、君臨するのが、財務省官僚である。
そして、
官僚利権が、増税(消費税増税)に走るのである。
権力は、配分する金であるから、金力こそ権力であるとするなら、
増税の目的は、財政健全化でも福祉でもない。
財政健全化は、歳入の増大であるとするなら、
経済発展しかない。
あるいは、
歳出の健全化しかないであろう。
福祉は、目的税乃至は、年金しかないが、
年金は収納された時点から、あらゆる名目に使途されているではないか?
グリーンピア然り、厚生年金施設然りである。
年金が創設されたのは、確か昭和17年、戦時資金調達のためである。
そして、
今や、株式運用の資金に多用されようとしている。
これらは、すべて官吏(官僚)の裁量によってなされようとしている。
良し悪しは別にして、日本はそういう国である。
【NET TV ニュース.報道】"朝堂院大覚 国会改革 2014 0830 鹿児島県阿久根市元市長が語る公務員法の闇
【NET TV ニュース.報道】"朝堂院大覚 国家御意見番 2014 1022" 日本はなぜ"原発"と"基地"を止められないのか?