広島原爆投下を目の当たりにした
海軍航空隊紫電改の操縦士・・・!
奇しくも
長崎原爆にも遭遇・・・救護の任にあたる・・・!
航空自衛隊操縦士として勤務
最後の撃墜王!
詳しくは本田 稔(ほんだ みのる、1923年(大正12年) - )は、日本の海軍軍人
を参照頂きたいが、
その一部を転載して置こう・・・。
【転載開始】
エノラゲイは原子爆弾を投下していないという主張
原爆炸裂時、空からの唯一の日本人目撃者として証言した彼の言葉は、「エノラ・ゲイ見てませんですしですね、私、空中から爆弾を落としたとは思ってないんですよ。下から爆発して、」。2012年8月14日に公開されたチャンネル桜のインタビュー[9]で、戦後エノラ・ゲイのパイロットが自分の機体に一機の戦闘機が向かってきたと言う証言があったがそれは本田さんなのかという質問に対し、答えた言葉。
彼は、戦闘機の紫電改を操縦して姫路から広島接近し、天気も良く広島城が見えていたところで、吹き飛ばされて500mほど降下したという。前を見たら、真っ白い火の玉のような光る白い雲が上がり、その中心は赤みと黒みを帯びていたと。そしてようやく高度を上昇させたら広島の町はなくなったていたという。【転載終了】
その真偽はご各位にご判断を委ねるとしても、
大東亜戦争を生き抜いた撃墜王の証言である。
そして、
第三の原爆投下を特攻で阻止するとして、
その2番機を志願して終戦を迎えた。
先の大戦のほとんどを転戦し、
且つ、
ほとんどの戦闘機・爆撃機に至るまで乗りこなし、
最後は紫電改の操縦士を努めた。
その話は、
生ける大戦の証言である。
面白い事抜きんでている。
面白い事もそうだが、
日本海軍の一将校がどのようにして大戦を生きたか?
虚飾を抜いた真実を垣間見れるだろう。
【証言シリーズ】元第343海軍航空隊 少尉 本田稔氏に聞く 前編[桜H22/8/2]
【証言シリーズ】元第343海軍航空隊 少尉 本田稔氏に聞く 後編[桜H22/8/5]