老夫婦の退屈な日常 そしてお遍路の事など

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父の無念

2014年11月08日 | 四国遍路

 父の命日が近づいた。

子供四人育てて長男は若くしてキリスト教にのめり込み、仏事一切かかわらず、世間で言う出世意欲も全くなく、布教活動にその身を捧げている。その家族も同じ道に進んだ。

次男は関東で活躍を終え定年を迎えた。恵まれてはいても、子供がおらず夫婦二人寂しい晩年になりそう。

三男もあちこち移転勤務を終え、同じく関東で落ち着いている。その娘二人は近くに嫁いで、ここも夫婦二人になった。

一人娘の私はずっと親の近くで住み、嫁いでからも介護ができ、二人の最期を看取ることができた。

父母は今、子供たちがみんなそれぞれの連れ合いと共に穏やかに暮らしている事をきっと喜んでいるだろう。

父は生前元気だった頃から、お墓を建て替え、仏壇を買い替え、それを三人の息子のうち誰かに託すつもりだった。

でも旨くいかないものである。男の子に恵まれた長男家は宗教の違いでお墓や仏壇を引き継いでくれない。

次男、三男も、引き継ぐ子達がいない。

父はそれを非常に嘆き悲しみながら旅立った。もう十四年も前の事です。

車で何度も何度も母と共に、お四国廻りをしていた。よっぽど好きなんだな…としか思っていなかったが後になり、こういう家の後々を思い、意地になって回っていたような気がする。

十八回の結願を終え、もう落ち着いたかなと思ったのも束の間、また回り始めました。

糖尿病、腎不全で、腹膜透析をしていたにもかかわらず、そんな時夜中に一人で高知に向かって車を走らせ、中村市で正面衝突、一命を取り留め翌日高速救急車で掛かり付けの病院へと帰ってきた。

それから半年後に帰らぬ人となってしまった。

母も他の病院に入院していて、その時凄く忙しかった。それから七年後に母も逝った

父の御朱印帳や頭陀袋、金剛杖、お珠数の行方が気になったのは随分後だった。

事故を起こす寸前に身につけていた遍路装備物は諦めるしかなかった。探しようがなかった。

そんな両親の位牌は先祖と共にお寺に永代供養し、世話する人のない仏壇は去年処分した。

両親の故郷にお墓だけは残っている。こんな両親の無念を慰めたい。