つゆ草

写真と俳句

今日の1句

2019-02-17 10:20:12 | 日記
雛飾りつつふと命惜しきかな   星野立子

今朝のNHk俳句に、私の尊敬する、浅井愼平さんがゲスト出演していました。去年の暮れ私の写真入り句集を作った際の、きっかけを作った写真家でもあり、俳人でもある方なので、食い入るように拝見しました。やはり10年前、いやそれにも増して、魅力的な方でした。その中で新しい作品を出している事を知り、早速今日本屋に行ってみようと思います。その浅井さんが気に入っている句が今朝の揚げ出し句です。私も好きな句です。我が家も早々お雛様の一部を飾っていますが、やはり色々な思いが錯綜します。命惜しきが心に沁みます。又、「小さな旅」の番組では、最近知った信州の写真家が出て素晴らしい氷の写真を撮っていました。偶然とは言え、気になる二人を映像に見る事が出来、小さな喜びの今朝の事でした。

すべてのブランコ揺れよ辛ければ   浅井愼平
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今日の1句

2019-02-15 14:46:55 | 日記
病名のひびき哀しや凍返る  つゆ草

突然の池江選手の白血病のニュースが流れました。まだ若い将来有望な女の子なのに、何て非情な事と、心が痛みました。試練にしてはちょっと痛々し過ぎる病名です。でも俄かに元の様にスポーツをしている人もいるニュースも聞きました。静かに見守るしか出来ない事を自覚する思いですが、又私事で恐縮ですが、以前からいつも体調が優れない姉が帯状疱疹だった事が判明し、これもまた見守る事しか出来ません。何と歯がゆい事でしょう。そして健康の有難さをつくづくと思い知らされる今日この頃です。先ほど少し小雪が舞いました。寒い日です。
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今日の1句

2019-02-12 09:49:20 | 日記
泡のびて一動きしぬ薄氷   高野素十


昨日は新宿バスタからバスで、軽井沢に行って来ました。今年の写真展のテーマが「四季」なので、今まで撮った夏と秋の雲が池の風景に雪の景を添えて組み写真を作るのが、最大の目的でした。ところが、今年に限って雪が少ないとかで、肝心の雪が地面に少しあるだけで綺麗な雪の光景は無かったのです。ガッカリし、それでも折角行ったので散歩してみると、駅の裏手に彼方に雪を被った榛名山が見える薄氷の池を見つけ、軽井沢らしき1枚を撮る事が出来てホッとして帰宅した次第です。ここでも中国人が多く、有名なお蕎麦屋さんでは15人位の団体が席を占めていました。それにしても、雪景色が似合う軽井沢なのに、残念無念でした。今日の1句は私の好きな素十の句です。
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今日の1句

2019-02-08 14:05:36 | 日記
幼子も背伸びして刺す針供養   つゆ草

浅草に於いて針供養が行われるというので、急いで家事を片付け撮りに行って来ました。何と浅草寺の参道を歩いていると、日本語は無く、殆ど外国言葉にちょっと脅威さえ覚えました。中国が今丁度旧正月らしくきっと日本に遊びに来ているのでしょう・・。針供養には行列が出来ていて、和装洋装交えて、多くの女性達が順番にお豆腐に針を刺して供養している姿は正に日本の文化を感じました。和裁をやる人が随分と減った事と思いますが、それでも針を持つ仕事に携わっている女性が多いのにホッとします。私も若い頃は子供の洋服を塗ったり、クッションを作ったりとしたものですが、老眼になって今ではすっかり駄目です。遠くにはスカイツリーが見え、紅梅も咲いていました。明日は又雪模様らしく、三寒四温です。
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今日の1句

2019-02-03 10:38:44 | 日記
目を閉じりゃ宇宙(そら)に豆撒く父の声   つゆ草


昨日はある大学内で「論文を読む会」という会があり参加して来ました。発表者のМさんの調べ上げた素晴らしい資料と洞察は、まるで研究者そのものの如く、魅力的でした。以前から尊敬をしていたМさんの存在は再び私に偉大な人物像となりました。昨日は連句に関する論文で、連句の発句と現代における俳句に微妙な違いや、芭蕉の時代の連句の有り様云々、沢山教えて頂きました。有意義なお時間に感謝です。写真は来月この俳句のグループと行く銀山温泉です。

又、今日は節分です。父の命日でもある事からこの日は特別なものとなり、子供の頃の大きな声で豆まきをしてい父の姿を思い出します。家では大きな声などあげたことの無い父でしたが、教師であった事から学校では人一倍大きな声でちょっと恥ずかしかったくらいでした。きっと今夜も天国で大きな声で豆まきをしている事でしょう。
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