おじさんの人生はB級

想いは着実に現実となる。B級の結果の場合もあるけど。

私の東北沖関東大地震

2011年03月20日 | 日頃
地震発生時は、会社で会議中だった。
11Fの会議室は、ギシギシいって結構ゆれた。
窓際にいたので、はしゃぐように外を眺めていたが、他の建物の揺れがはっきりわかり、いつもの揺れではないなと悟った。
会議参加メンバーと一緒にテーブルの下にもぐったが、キャスター付のテーブルだったため、
右に左に転がって定まらなかった。

会議は最後まで行い、終了後エレベーターは停止していたので非常階段を利用した。
そこで目にしたのは、崩れ落ちている壁だった。
階段を降りている途中でも大きな余震があり、目の前で壁が崩れ落ちるのだった。
危険だと判断し、途中のフロアに退避した。

地震情報を集めることで、まったく仕事には集中できなかったが退社時刻に、帰宅は個人の判断に任せるという旨の館内アナウンスがあった。
電車は不通で、回復を期待したが、度重なる余震の大きさと頻度に長期化すると判断し、即座に歩いて帰宅することを決心した。

会社から自宅までの距離約17km。時間にして約3時間半の道のりだ。
9時前には帰宅することができたが、自宅あたりは停電しており、エレベーターが使えないので10Fの自宅まで息を切らして上った。

自宅には息子がおり、真っ暗だったこともあり寝ていた、、、

被害状況を確認していると、停電から立ち直った。

家具等の倒壊は無かったが、CD、カセットテープ、本が棚から崩れ落ち散乱していた。
水槽の水がこぼれたようで、脇においていたFAXが冠水し、カーペットが湿っていた。

妻は都内に勤めている事もあり、帰宅が困難な状態だった。
結局翌日昼ごろに疲れきって帰宅した。

コメント
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