<阪神電車の踏切を越して、村役場の前をずっと海岸まで導いている真白な広い道と、芦屋川の川沿いみちとの間が、細長い遊園地になっていて、白い砂地の松林の中には、休憩所があったり、テニスコオトがあったりする。夏になると、小学校では、机を持ち出して、ここで授業をするのだという。いちばん自由な林間学校である。芦屋の児童は幸福だと思う。
浜芦屋には、外人の邸宅や、ブルジョアの屋敷やらが美しく並んでいて、その蔭には、長屋建ての貸し別荘も沢山建っている。一体に別荘地なので、今はがら空きであるが、これからだんだん夏に近づくにつれて、すっかり塞がってしまうという。>谷崎潤一郎 細雪より
そんな昭和の初め 芦屋のお屋敷で使われていた椅子が我が家にやってきた。
六麓荘よりもっと歴史の古い芦屋市平田町、小説に書かれているところの“ブルジョアのお屋敷”から。
お屋敷の住人が古い物を整理すると言う。
修理をするから貰ってくれないか?と。
ウヒィィ(;゚;Д;゚;)ィィイィ!!
私ごとき庶民の家にそんな無理無理無理!うちに合わないし置くところがない。
そうお断りした。
貰い手がなければ捨てることになると・・・。
見に行った。
はっきり言ってボロだ。こりゃひどい┐(´д`)┌
きっと長年納戸で眠っていたのだろう。
昭和八年、お爺様が特注で作らせたものらしい。
丁寧な仕事、彫刻・・・。細雪の映画を思い出す。
あんな優雅な邸宅で使われていた物。
捨てるのは嫌だな・・・。
職人の手で時間をかけて丁寧に修理されうちにやってきた。
我が家に不釣合いな椅子だけど・・・
とても好きだ
この椅子の周りでどんな生活が送られてきたのだろう。
昭和の初め、職人の手で丁寧に作られた椅子。
捨てられて灰にならなくて本当に良かった。
( *´艸`)
我が家のリビングにやってきた。
悪猫にワルサされないように、
小さいほうにはレースをフワリと掛けてある。
大きいほうにはストールをフワリと掛けた。
あっあぁっ!!サスケちゃんが!!
“いいとこの坊や”気分を味わっている。
修理を終えたこの椅子を 車から娘と一緒にヨイショ ヨイショと家に運び込んだ。
いつか私がこの世から居なくなったら娘がこの椅子を引き取ってくれる。
昭和八年に作られたこの椅子、できるだけ長く大切にしていきたい。
この椅子八十五歳。